1月11日付の沖縄タイムスに掲載された「福島と沖縄 国策と慰霊」という記事を紹介したい。

 「手を止めた具志堅隆松さんが、指し示した黒茶色の地面から、少しだけ白っぽいものがのぞいている。空気が、張り詰めた。木村紀夫さんが無言で周りの土をかき出す。地中から取り上げると、子どもの大腿骨だった。「くーっ」、 言葉にならない …… /1月2日、福島第一原発が建つ福島県大熊町の沿岸部。木村さんは東日本大震災の津波で失った次女、汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)の遺骨を探していた。5年前、首や顎の小さな骨が見つかり、DNA鑑定で汐凪さんと確認されている。5年前の骨たちは環境省の捜索で見つかった。今回は初めて自分の手で土中から救い出せた。「汐凪に近づいた気がした」と語る。/現場は原発から3キロ。事故直後、立ち入りが厳しく制限される中、防護服を着てたった一人で捜索を始めた。「探すことが汐凪との対話だった」と振り返る。/沖縄で遺骨収容を続ける具志堅さんが応じた。「祈りが精神的な慰霊だとすると、遺骨収容は死者に近づこうとする気持ちを行動で示す慰霊です」。沖縄では名も知らぬ戦没者の遺骨を探している。今回は名前と顔が分かる小学1年生の女の子を探す。隣に父がいる。緊張はしたが、すぐ遺族の元に返せる喜びは何物にも代えがたい。木村さんの手に抱かれた遺骨に「汐凪ちゃん、帰れるよ」と語り掛けた具志堅さんの声も、震えていた。/それにしても、作業開始からわずか20分で見つかるとは。「お父さんと娘さんが呼び合った。奇跡だ」。具志堅さんはかみしめた」 

 遺骨とは何だろうか。日本では戦死した兵士の遺族には一片の公報と白木の箱が届けられた。だがその中には石ころが一つだったとか。人間の命が石ころひとつであってはならない。具志堅さんや木村さんの生きざまに多くのことを教えられる。