一、ウーマン・リブからフェミニズムへ

 旧来「女性解放」と呼ばれてきたものは、一九六〇年代末におこったウーマン・リブ運動以降、大きく変わり、一九八〇年代半ば以降にはフェミニズムと呼ばれるようになった。今日、その概念、運動の担い手、課題、理論は多岐にわたっている。フェミニズムの流れの中で、性的マイノリティの存在と運動が社会の表面に出てきて、人間の性のあり方を意味するセクシュアリティという言葉・概念が生まれ定着してきた。
 革共同が自らへの差別糾弾を契機に、「田島論文」(後述)という形で女性解放理論を打ち出したのは約半世紀前。以来、「党としての」理論・運動はほとんど変革も深化もなく、現実に通用しなくなって久しい。生きた現実の中で、様々な立場の女性たちが性差別・性暴力と闘い、実践をつみあげ、新たな思想や理論を模索、構築してきたが、それを拒否し、悪罵を投げつけてきたからだ。「党としての」というのは、婦人民主クラブ — 「風をおこす女の会(※1)」の活動、イラク反戦を契機にした三月行動(※2)、日本軍「慰安婦」問題解決のための運動、里美さんの障がい者差別・性暴力との闘いの支援(※3)など、意義ある真摯な大衆運動への関わりとは区別する意味合いである。
 謙虚に半世紀の現実の運動、思想、理論を受けとめ学ぶ立場から、学習、検証が不十分なままではあっても、ひとまず革共同の女性解放論とは何だったかをとらえ返してみたいと、文章化した。討議のたたき台にして頂ければと思う。
 
二、 社会と歴史の基本的要素

 《生産》という要素からみると、社会は《生活資料・生産手段の生産》と《人間の生産》で成りたち、その連続が歴史を形成する。両者は相互に深く関連・規定しあい、一方が絶えれば、他方も途絶え、人類史は終わる。前者は生産技術の進歩と生産力の発展、富の蓄積、資本主義的価値増殖、私有財産制と階級社会、社会・人間を支配する権力を生みだしてきた。前者を基準にすれば後者は非生産的で、生産性を阻害する要因となる。
 マルクスは上記の二つの要素と、両者の関係性を明らかにし、前者の分析、理論を追求してきたが、後者に関しては空白と誤りを残してきたと私は理解している。

三、 人間の生産・再生産と女性の自己決定権

 では人間の生産・再生産とは何か。命を生み育て、ケアすることである。人間存在の根源的本質、価値である。それを構成するのは、㈰文字通り命がけの、動物としての妊娠・出産。㈪前提としての女と男の交流と性行為。他の動物と異なるのは、本能のみに導かれるのではなく、性愛という精神的要素があること。しかし、「無垢の純粋なる性愛」というものは有史以来存在せず。㈫妊娠に関わって、避妊・中絶という人為的行為が存在。㈬出産後の授乳、乳幼児に対する育児〜教育。㈭日常的衣食住に関わる、いわゆる家事労働。㈮病人、障がい者、高齢者に対する看護・介護など。
 一連の中で女にしかできないのは妊娠・出産のみだ。しかし女性はその生物的特性を根拠にして、人間がつくる社会のあり方の中で、妊娠・出産と連続する他の営み・労働を一方的に担わされる「家内奴隷」とされてきた。主語を変えれば男性はそれを免れ、疎外されてきた。女性は自ら命の生産・再生産を担いながら、自らの性 — 生の主体・主人公となる、即ち自己決定権を行使して生きてくることができなかった。今日、#MeToo運動のうねりとなって、世界的・普遍的に提起されている、古くて新しい人類史的テーマがこの女性の自己決定権、基本的人権だ。

四、 女性への二重の抑圧の歴史

(1)私有財産の発生と女性差別・抑圧の始まり

 私有財産、階級社会の発生と、母権の転覆−父権の確立は深く関連している。『家族、私有財産および国家の起源』(エンゲルス)では、分業から私有財産が発生し、それを男性直系の子どもに相続させるために母系制が転覆され、女性のみに一夫一婦制を強いる(どの男の子どもであるかを明確にするため)父系制 — 家父長制家族が発生したと論じている。一世紀半を経た今日、この著書のどこまでが実証を伴った普遍的理論であるのかわからないが、階級社会と女性差別・抑圧の発生の根拠、関連は確かだろう。

(2)「家」制度の下で二重の抑圧
 女性の性を抑圧し、「家内奴隷」としての役割を担わせてきた装置が(子どもも家父長の道具)家父長的家族制度だ。女性は、○○家の嫁、○○の妻・母・娘…でしかなく、子どもを産まなければ存在価値がなかった。それと表裏一体となって、女性の性そのものを奴隷化する制度が様々な形で歴史的に続いてきた。
 階級社会は奴隷制 — 封建制 — 資本主義へと推移し、支配階級と支配のあり様、階級闘争の主体は変遷してきたが、「家」制度、その下での男性による女性支配・差別・抑圧は不変であった。女性は階級支配と同時に、性による支配・差別という二重の抑圧を受けてきた。両者は性格の異なる支配・抑圧である。

(3)封建的大家族制度からブルジョア的家族制度へ 
 封建制から資本主義への移行に対応して封建的家父長制大家族は解体され再編されていくが、明治以降の家制度も封建制の支配階級を原型にしていた。特に、自由民権運動が弾圧され近代天皇制が確立する過程で、女性は労働力の生産・再生産のための「道具」として、更に苛酷となる家制度に縛られていく。一八九八年制定された明治民法(一九四七年五月二日まで)は、家制度を近代天皇制の基礎と位置づけ、「戸主」を家族における天皇とみたてて絶対的権力を付与した。女性(と子ども)は「無能力者」とされ、婚姻・離婚の自由、住む場所の自由、財産権ほか一切の権利はなく、「姦通」(女性のみの犯罪)、堕胎は刑法で罰せられた(堕胎罪条項は今も存続)。男性は事実上の一夫多妻制であった。
 封建社会においては、基本的に生活資料の生産と消費は、自給自足的に大家族単位で行われてきた。そこでは生産労働と家事労働は渾然一体となっていた。その中で女性は妊娠や出産を絶え間なくくり返しながら、日々の家事労働、家族の衣食住のための必需品を生産する労働、村落共同体のための労働、さらには支配者階級のための生産労働にも従事してきた。その分、女性ならでは社会的領域や自由、権限も存在した。
 しかし資本主義に入ると、家族経済のもとで行われてきた生産は、資本による、工場での「商品」生産へと置きかわり、「家」は労働力の生産・再生産を担う資本主義的家族へと再編される。生産労働から切り離され、労働力の生産と再生産のための狭義の家事労働が、「私的労働」として無償で女性に担わされ、女性の差別・抑圧はより強化される。とくに戦後急激にすすんだ都市部への労働力の大量狩りだし、大家族や地域共同体の解体、労働者家族の核家族化は、妊娠・出産、育児、家事をさらに孤独で苛酷なものとしていった。(今日の子どもの虐待・DV激増はそれを象徴)

(4) 資本による差別的搾取 — 家族の破壊と
             性差別・抑圧の再生産
 
  資本の目的はあくなき価値増殖のための商品生産である。産業革命以降、女性差別を梃に女性や子どもは安い労働力として苛酷な労働に狩りだされていく。日本の初期資本主義を支えたのも十代の女性労働者(戸主への絶対的服従下にあった子ども)だ。それは女性の身心を破壊し、労働力の生産・再生産装置としての家族を崩壊させる。イギリスでは「労働者種族の絶滅」寸前まで事態は悪化した。資本主義的生産と、命の生産 — 労働力の生産・再生産の根本的矛盾がある。それゆえ国家・資本は、女性に家内奴隷と賃金奴隷という地位を強制し続けるために、家族制度 — 女性差別イデオロギーをたえず強め、再生産してきた。
 資本主義以前も、以降も、大半の女性は命の生産を専ら担いながら、同時に《生活資料・生産手段の生産》に従事してきた。それゆえ差別的に搾取・収奪されてきた。「性別役割分担」とは単純に「男は社会で、女は家で家事・育児」ということではない。いわゆる「専業主婦」層の存在は、生産階級においては資本主義以降の、それもほんの一時期にすぎない。

五、女性解放思想と運動

(1)明治から戦中までの女性解放運動
 資本主義への移行期から一九六〇年代までの女性解放運動は、第一波フェミニズムとも呼ばれている。西欧における近代の啓蒙思想のみならず、ブルジョワ諸革命とその敗北、初期社会主義思想と労働運動の勃興などの歴史的激動を背景として生まれた。自我の目覚めと、それを高らかに謳いあげる文化的運動、封建的家族制度との対決、「廃娼」運動、教育・職業の平等 — 経済的自立と社会参加の要求、参政権獲得と政治活動の自由(※一八九〇年「集会及び政社法」[のち治安維持法]は女性と未成年者の政治活動を禁止)を始め、法的・制度的な平等を求める運動などに代表される。当初の担い手が富裕層・インテリ層の先進的女性たちだったことは歴史の必然的流れである。女性の本質を「母性」とし、母としての役割を重視し、その社会的保護・尊重を求める傾向が強かった。
 他方、少数ではあるが女性たちは労働運動や社会主義運動にもたちあがっていく。日本で最初の工場労働者は女性であり、初のストライキは若き女性労働者たちが闘かった。
 一五年侵略戦争体制下では、これら全てが戦争翼賛勢力に組み込まれていった。

(2) 戦後の女性解放運動
 戦後初めて、女性の選挙権、民法改正、「母性保護」の権利、教育の門戸開放など、最低限の男女平等が法的・制度的に整えられたが形式的で不十分なものだった。家制度の法的基礎である戸籍法は改正されたとはいえ存続し、未だ夫婦別姓さえ妨害され、刑法・堕胎罪は残っているなど、家制度は法制度的にも根深く差別社会を規定している。
 戦後の女性解放は、女性の侵略戦争協力の歴史をふり返ることなく、「民主主義と平和を守れ」という枠組みの中での運動が主流となる。「子どもを産む女性こそが平和を守る」という母性主義に根差した運動、「主婦連」の生活要求に根差した運動などだ。同時に、教師など女性労働者は労組婦人部を結成し、経済的自立のための「家事と職業の両立」、そのための母性保護の権利拡大、保育所設立運動などに取り組んだが、労働運動も男性中心主義は根深く、差別的妨害は激しく、闘いは困難を極めた。

(3)「マルクス主義」は女性の解放と
             どうむきあってきたか

 「マルクス主義」陣営の中では、エンゲルスの前著に基づいて、資本主義から社会主義への移行 — 私有財産制の廃止によって女性差別・抑圧は解消するというのが基本的認識だった。社会主義においては女性の婚姻・妊娠・出産・中絶の権利の保障、家事・育児の社会化、女性の社会的生産労働への復帰、それによる経済的自立が実現し、女性は男性と対等になる。資本主義を打倒する階級闘争の主体は労働者であり、従って女性労働者こそが女性解放の主体とし、それ以外の女性の主体と運動は軽視された。
 日本の社会主義運動の中心にいた男性たちにとつて、女性解放理論は建前で、一部をのぞき根深い封建的家父長意識、女性差別意識にまみれていた。それは女性たちの主体的要求と闘いを否定・踏みにじると同時に政治的に利用する論理でもあった。戦前の左派労働運動内部での女性部廃止論争や日本共産党のハウスキーパー問題(※4)は象徴的な例だ。
 戦後、日本共産党が影響を与えた女性解放運動においては、女性解放は戦後民主主義の改良的課題となった。資本主義の枠内の中で、民主的家庭を築き、「ポストの数ほど保育所を」要求し、仕事と家事・育児の両立、経済的自立を求める考え方であった。また「母親」「主婦」が母性を守る立場から平和を求める運動などが中心となった。女性の根源的怒りと大衆的決起が実現されず、性差別・抑圧の実態は変わらなかった。

㈬ ウーマン・リブの登場から
         フェミニズム、バックラッシュへ

 リブ運動は、六〇年代、欧米でオルタナティブ運動の一分野として始まった。日本のリブ運動は六〇年代末、革命的左翼の中にも根深く存在する女性差別・抑圧を糾弾する形で登場した。 
 以下を特徴としてあげることができるだろう。
 ◆ 時代的背景は六〇年代後半からのベトナム反戦、反安保・沖縄闘争、全共闘運動、入管闘争、三里塚闘争や反公害地域闘争などの高揚。反戦・反侵略・反差別、ラディカルな人間解放の大衆的希求と思想的土壌の中から生まれた。◆男をモデルにした「男並み」を目指す運動、男性と一部エリート女性に「指導される」運動ではなく、「ふつうの女」が闘いの主体となって人間の解放を求めた。◆タブーとされてきた性抑圧問題を正面から見据え、性の解放をかかげた。◆資本主義のみならず、有史以来の男性による女性の差別抑圧、その装置である家制度の解体(家を前提とした「性別役割分担の見直し」ではなく)を求め、部分的には子どもを含めた共同生活を試みた。◆特定の理論や指導者、組織の下につくられた運動ではなく、女たちが年長の女性思想家たち(九州サークル村(※5)に拠った森崎和江、石牟礼道子、河野信子など)からの示唆も得ながら、「自前の」言葉と思想を模索し紡ぎだしながら進んだ。◆反体制的社会運動や理論と交流、共闘しながら、担い手や地域によって運動のテーマや様相は幅を広げて行った。

 当時の中心的な女性解放の政治課題は優生保護法改悪と労基法改悪反対との闘いだった。前者の闘いを通じて、障がい者と女性解放の思想が交わり共闘へと発展していく。後者の母性保護剥奪をめぐる攻防は八〇年代半ばまで続くが、リブ運動、労働運動の後退の中で、大衆的に反撃できないまま労基法改悪 — 男女雇用機会均等法制定、労働者派遣法制定という三点セットの大攻撃を許してしまった。差別撤廃、平等と逆行する、今日の非正規・貧困問題の起点となる大攻撃であった。
 同時に、政府・財界は、家事・育児負担と「家計補助の労働力」としての低賃金・差別雇用を固定化するために、女性を「被扶養」の存在に留めるための「妻の座優遇」政策を強め成功していく。
 国連が国際婦人年を開いた一九七五年、アイスランドでは女のゼネストが闘われた。労働者としての平等と家事・育児の役割分担の見直しを求めた。その闘いは「結果の平等」を法的に保障させるクォーター制を明記した男女平等法制定など、北欧からヨーロッパ全体へと広がっていく。「保護より平等」と称して差別強化へと向かった日本と対象的に、ヨーロッパの先進的国では母性保護の権利拡充、差別賃金の是正、出産・育児の社会的保障と男性の義務化などが前進し、ブルジョア的結婚制度自体が空洞化してきている。
日本のリブ運動は後退したとはいえ、障がい者差別・選別を許さない運動、シェルターを含めたシングルマザー問題への取組み、「キーセン観光(※6)」— 性のアジア再侵略を弾劾する運動など、性差別・抑圧、性の商品化との闘いなどに闘い継がれていった。一九八九年には初のセクハラ裁判が提訴され、労働現場における性差別・性暴力を社会問題化する。一九九一年日本軍の性奴隷とされた金学順さんの告発は戦時性暴力を国際的に糾弾する#MeToo運動の始まりとなり、日本でも支援連帯運動が開始された。
今日、性暴力・性差別の根絶を求める#MeToo運動が世界的うねりとなった。日本における#MeToo運動の起点は半世紀前のリブ運動にあったことは間違いないが、九〇年代から二〇〇〇年代以降、反動的差別主義者らによる「慰安婦」問題のバッシング、ジェンダー教育や性教育を標的にした激しい反動(バックラッシュ)に襲われ、日本における女性解放運動は大きく阻害された。粘り強い攻防が闘いぬかれているが、それが今日の「ジェンダーギャップ指数一二一位」の現実の背景にあり、アベ・菅政権と深く結びついている。非正規・女性を切り捨ててきた、連合が牛耳る労働運動の現状もこれを規定している。

六、革共同の女性解放論

㈰ 経過
 一九七一年七月全学連第三〇回定期全国大会で、女性参加者が「性の差別=排外主義と闘う決意表明」を読み上げ、革命的左翼への性差別と民族差別を鋭く糾弾。女性解放と革命を求めて中核派に結集した女性の痛み、性差別と抑圧、分断と疎外への屈辱、怒り、そして差別に屈してきた自らへの自責と反省が堰を切ったように溢れる文章だ。そのものを読んだ党員が何人いるか。党内で公表されていないと聞いた。冒頭、性差別は排外主義と一体の攻撃、われわれ革命的左翼はそれに屈服し、腐敗した姿をさらけだしたと、四月安田講堂での入管集会(七〇年七・七自己批判の九カ月後の集会)をふり返っている。全学連は、「リブ入管戦線代表」の革命的左翼を糾弾する発言に野次、罵声、怒号、性の差別の暴力を浴びせ発言を殺したと。

㈪ 田島論文 — 「政治と暴力の奪還」論
 革共同がこの糾弾に向き合い、革命的女性解放闘争と理論活動を開始した証左として、一九七三年一月『共産主義者二四号』に掲載されたのが『革命的女性解放闘争の創成のために』(田島優子論文)だ。(同号には本多延嘉「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」も収録)果たしてそうだったのか。「リブをのりこえてここに学ぶ」姿勢を抱いた自らへの反省を込めて検証したい。
  
[以下、言葉をかえて内容を要約]
◆女性差別・抑圧は私有財産の発生と階級支配が根拠としているので、女性解放はプロレタリア革命と一体で実現。端的に言って「革命なくして女性解放なし」「革命やれば女性は解放される」論である。
◆具体的には、女性の革命党への結集、党の組織方針のもとでの武装的決起。これが「政治と暴力の奪還」であり、革命的女性解放闘争。今日的にめざすは七〇年代階級闘争の内乱的発展。
◆革マル派、リブ派、日本共産党などの右翼日和見主義、女権拡張主義者との党派闘争が不可欠。
◆三里塚や北富士、部落女性など、「革命的」に闘う女性、運動とは連帯する。女性が闘う大衆運動に関わる目的は女性革命家の獲得。
◆男性による女性差別・抑圧を糾弾はしない。性・妊娠・出産・育児にかかわる問題は「共産主義者としての規律」をつくりだし解決。軍事的・革命的要請が第一、女性、子どもはそれに従い、犠牲に甘んじよ。

[レーニンの「婦人論」をベースとした誤りと不十分性]
◆田島論文は、一切をプロレタリア独裁権力の維持へと収斂、従属させていくレーニン主義、その「婦人論」をベースにしている。レーニンとドイツの女性革命家 — クララ・ツェトキンとの対話の中で語られているのは、女性を真に主体とした女性解放闘争ではなく、女性解放闘争は革命権力の動員、利用の対象であること。現実の女性運動に対するブルジョア女権主義、メンシェビキ、「革命にとって無意味・無価値」とする否定的評価(今はそんなことやつている時ではない、女性解放は革命政権が実現する、その為に女性の闘いが必要)。
 従って、性差別との真摯な向き合い、大衆、大衆運動から学び共に闘う姿勢は全くない。「継承か解体か」と一体の論文。
◆階級支配とは異なる、男性による女性の支配・抑圧が数千年続いてきた歴史的事実、その根深さを認めていない。今日ふりかえれば、性抑圧・性支配からの解放は「革命と一体的に実現」できるほど単純なものではなく、糾弾と男性の自己批判・変革、男女のねばり強く大衆的な共闘、協働の過程が必要。
 「マルクス主義」は、「家事労働からの解放と公的労働への復帰と経済的自立」を女性解放の条件とするとした。ソ連は最初の歴史的実験場となったが、家事・育児の社会化とは「集団化」にすぎず、家制度−性別役割分担、男性による性差別・抑圧の実態は解消せず、スターリン主義体制の確立の過程ではより強固な家族制度が復活していく。女性は家事・育児と同時に、生産力主義のもと男並みの労働・軍事を強制された。
 田島論文はこの枠組みを超えていない。

七、「政治と暴力の奪還」で
        女性の解放は実現しない

(1) 七〇年闘争過程で燃え上がった女性たちの体制と差別への怒り、闘いへの情熱はまぶしく、すばらしかった。私自身、それを自らのものとすべく、遅ればせながら革共同に結集した。しかし、ベースとする田島論文の「暴力の奪還」は、実は革共同の武装闘争路線方針のもとへ女性メンバーを動員することを自己目的化し、それを理屈だて正当化するものだった。
(2) 性による支配・抑圧を認めず、自らを「女性差別とは無縁の革命派」と自己規定した。それゆえ、組織的権威・権力で差別を組織的に隠ぺいし、情報を操作し、差別糾弾闘争を否定・抑圧する歴史を重ねた。他党派、大衆的女性解放運動を全否定し、「革命的理論」をもって、それらを正統化してきた。八代の性暴力犯罪と八代の擁護はおこるべくしておこったのだ。
(3)女性解放とは、女性が自らの《性と生》の主体となり、何者からも、経済的・社会的・暴力的・因習的などの強制・制約を受けることなく自己決定権を行使できることだ。その為には男性の差別意識の変革、経済的・社会的・主体的(女性自身の)条件の保障が必要。
(4)それは家制度と性別役割分担を廃絶し、命の生み育て、ケア(介護・看護)を男性が女性と同じように共同体で、社会で担い、それが人間の根源的で本質的な価値として社会の原理になっていくことでもある。
(5)以上が現在的に準備されていくことが必要だ。田島が語る「政治」とは党が党の都合で「政治決戦課題」としてきたことでしかない。「政治闘争」「経済闘争」と切り離されてきた、前記の〈性 — 生 — いのち〉をめぐる課題を政治と社会のテーマとすることこそ「政治の奪還」ではないだろうか。現実の運動は困難な中でそれらをテーマ化し、私たちに提示してきた。
(6) 今日まで、フェミニズムは担い手を拡大し、#MeToo運動の世界的うねりに発展し、さまざまな社会的マイノリティとの連帯へとつらなってきた。眼前の闘いは、「革命的暴力」で変革できなかった岩盤にヒビを入れる力をもって展開している。女性、社会的マイノリティが政治、社会の中心に坐っていくことが、どれほど大きく歴史を変えていくか、世界で実践が進んでいる。その人々から学び、共に闘っていくことが、私たちに求められている立ち位置だろう。
 その人々から学び、共に闘っていくことが、私たちに求められている立ち位置。それ抜きに、女性の解放も、資本主義社会の根本的変革も実現しない。
(7)「ジェンダーギャップ指数一二一位」の現実を変革したい
 「ジェンダーギャップ指数一二一位」と私たちは無縁ではない。改めて、自分が田島論文によって「わきまえる女」にさせられてきたと痛感している。それも含め、一二一位の日本の現実を生みだしてきた運動家、組織としての主体的責任を振り変えざるをえない。
 新自由主義の激しく進展する二〇〇〇年代以降、非正規雇用、セクハラ、パワハラ問題に若年男性も遭遇することにより、女性への差別・攻撃が男性も含む労働者全体の地位と尊厳を如何におとしめていくかが突き出され、社会問題化した。女性解放はLGBTQの人々の勇気ある起ち上がりへと連なりは男性解放問題であること、社会的マイノリティ問題と通底しており、社会の根底的変革の課題であることを可視化した。コロナ禍がとりわけ女性に追い打ちをかけている中で、社会的労働運動とフェミニズム運動・社会的マイノリティの運動の交錯、さらなる発展が求められている。この間関わってきた運動の継続と同時に、新たな闘いから学び、ともに歩んでいきたい。
以上。

※重大な性暴力事件とそれをめぐる組織内での一年をこえる討論が行われた。この文書は女性同志の自己総括として二〇二一年三月二八日の出発総会に提出された。