革共同を自己批判・自己総括する上で、理論上の問題は欠かせない。とりわけ革命論の骨格部分に関して、意見を述べたい。

(1)革共同の破産、清算と決別

 まず大前提として、「革共同は破産した」「革共同を清算し決別する」ーー「新しい組織と運動」を始めるに当たってこのことを確認したい。
大事なことは、その破産の原因が、単に、革共同の一定の時期の路線や戦略において誤りがあったという次元ではなく、その土台である「資本主義とは何なのか」という資本主義観において、決定的に間違っていたということである。ここにおいて総括をしないと本当の意味での「新しい組織と運動」は始まらない。

 「継承か、解体か」

 
 ある古参の同志は、こういう。「清水・中野・天田らが革共同をダメにしたが、〝六〇年代の革共同〟〝本多さんの時代の革共同〟には可能性があった」と。
 たしかに様々な意味で可能性はあった。
 しかし、本多延嘉「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(一九七三年)を改めて読み直してみよう。厳しい闘いの中で、「継承か、解体か」は綱領的な結集軸であった。しかし、今日的に捉え返したとき、そしてかのスターリン『レーニン主義の基礎』(一九二四年)と対照してみたとき、「継承か、解体か」は、革共同がスターリン主義へ回帰していく、理論上の決定的な転回点であったと確認せざるを得ない。
 「継承か、解体か」に示された理論上の問題点を抉り出し、その清算と決別を明確にし、グローバリゼーションの現代における批判理論・変革理論を掴み直す作業が必要である。

(2)スターリン主義と反スターリン主義は同根
 
 ソ連崩壊(一九九一年)をどう受け止めたか?一般には「マルクス主義」の破産とされたし、「マルクス主義」を支えとしてきた人びとが、そう受け止めて挫折感を味わっていた。
 事実、ソ連崩壊とは、グローバルに拡大する資本の運動がソ連を再吸収したものであり、同時に、資本主義の批判・対決で敗北した「マルクス主義」の最後的な破産であった。
 しかし、革共同はどうだったか? 例えば「一九全総報告」(一九九六年)では、「帝国主義とスターリン主義による圧殺体制の崩壊」とむしろ歓迎する態度だった。ここに大きな見当違いがあった。むしろ、「三回大会報告」(一九六六年)をはじめとする革共同の土台そのものを問い直すべきときだった。

 スターリン主義とは?

 ところで、スターリン主義に関する批判的な研究といえば、E・H・カー、ロイ・メドヴェージェフ、G・ボッファなどの労作が挙げられる。真摯で優れた研究であり、スターリン主義批判の様々な契機や教訓が実証的に提起されているが、しかしまた肝心なところに難点がある。それは、資本主義の把握・批判・対決という観点で総括していないという問題である。換言すれば、なぜスターリン主義になるのかという問題の解明である。
 指摘されている様々な契機はその通りだが、しかし、その土台に、「マルクス主義」の欠陥という原点・由来がある。つまり、二〇世紀初頭の資本主義の本格的発展と全面的な物象化という中で、「マルクス主義」が、その理論上の欠陥の故に、資本主義の把握・批判・対決において決定的に敗北していったという問題である。そしてそこから、一方で、「マルクス主義」を公然と投げだしたベルンシュタインらの修正主義を生み出し、他方で、その「マルクス主義」の欠陥を、党の命令・国家の暴力でもって主意主義的に突破しようとしたレーニンの方向を生み出した。レーニンの方向は、プロレタリア独裁下でも不可避に支配する商品関係・物象関係を、党の命令と国家の暴力によって絶滅するという実践に及んだ。それをレーニン主義として定式化し徹底したのがスターリンであった。
 「マルクス主義」が、資本主義を把握・批判・対決する理論の枠組みたりえていなかったという問題がスターリン主義に至ったのである。
 そして、反スターリン主義は、「マルクス主義」の欠陥を共有しているという点で、実にスターリン主義と同根であったのである。

(3)マルクスと「マルクス主義」の分岐

 「資本主義の崩壊は不可避」「崩壊を革命に転化する」「帝国主義戦争は不可避」「戦争を内乱へ」「帝国主義を打倒する」ーーマルクスも(ただし一八四八年革命前後から一八五七年恐慌辺りまで)、エンゲルスも、レーニンも、スターリンも、拠って立ってきた革命論である。したがって、革共同ももちろんこれを継承してきたし、われわれにとって疑う余地のない革命論としてあった。
 しかし、それは、そもそも「資本主義とは何なのか」という点において、『経済学批判要綱』(~一八五八年)『資本論』(第1部初版一八六七年)でマルクスがつかみ取った資本主義の把握・批判・対決の内容とは、決定的に異なる枠組みに拠っている。伝統的なマルクス理解の枠組みの中にいる研究者・理論家は認めないが、ここにマルクス主義との大きな分岐がある。

 マルクスの資本主義批判とアソシエーション

 マルクスが『要綱』『資本論』でつかんだ事柄の核心点を、不親切だがごく結論的に列挙すれば??
 〈資本主義のシステムとは、人間自身が、自らの労働・生産の力を対立的な疎遠な形で(物象として)形成し、人間と自然との物質代謝を行うシステムである〉〈故に資本主義は、人間にとっても自然にとっても破壊的である〉〈同時に、資本主義は、自身の内部に否定性を含んだ矛盾のシステムである〉〈矛盾とは、ⅰ.人間の労働・生産の力が、対立的な疎遠な形で形成されることを根源的な矛盾(疎外された労働、賃労働・資本)としながら、ⅱ.労働・生産における私的性格と社会的性格とが矛盾し、資本原理(搾取)が商品原理(自由・平等・独立)を不断に否定するという矛盾である〉〈資本主義は、その矛盾の故に存立し、矛盾を媒介して社会のすべての要素を自己の「形態」として従属させて「総体性」になる運動を歴史的に展開する〉〈国民国家も、資本主義の運動の矛盾を解決しようとする自己形態として資本によって産出されたものである〉〈資本主義の内部の否定性故に、その内部に潜在的ではあるが、社会主義=アソシエーションが形成されていく〉〈資本主義の内部に含んだ否定性を顕在化させていくのが、人間の自覚的な活動である〉〈資本主義の矛盾の運動が露わにする公共性=コモンを、人間の自覚的な活動で制御・管理することである〉

 崩壊革命論・打倒論の外在性

 見たように、マルクスは、資本主義内部にその否定性を見てとり、そこに資本主義を超える契機を見いだしている。資本主義の矛盾・物象的転倒性・否定性のつかみ方に鍵がある。
 ところが、「マルクス主義」の崩壊革命論・打倒論は、まさに、〈資本主義内部の否定性を見ることができず、よって資本主義を超える契機も見いだせない〉。だから、〈恐慌や戦争に資本主義の崩壊を待望・予測し、万年危機論を唱え〉、〈資本主義の外側に変革の展望を探し求め、主意主義的に内乱・蜂起を計画し〉、〈資本主義の外側から社会主義を対置する〉という外在的な革命論にならざるを得なかったのである。
 このような「マルクス主義」の革命論の外在性故に、資本主義の中心部分において革命を遂行することが全くできなかったのである。
 誤解なきように言えば、崩壊革命論・打倒論を批判・否定するのは、「内乱・蜂起を唱えてもさしあたり実現性がないから」とか、「民衆の意識状況から迂回戦略をとった方がいい」という理由からではない。「資本主義とは何なのか」という原理的な把握において間違っているからである。

 「マルクス主義」の由来

 ところで、「マルクス主義」とはマルクスの理論ではないのか?たしかに、一八四八年革命前後から一八五七年恐慌辺りまでのマルクスは、恐慌待望論と崩壊革命論を主唱していた。
しかし、その挫折と反省・転換の上に、『要綱』『資本論』がある。その理論は、上で見たように、「マルクス主義」の理論とは決定的に違う。
 「マルクス主義」は、エンゲルスの『反デューリング論』『空想から科学へ』を通して定式化され、その後、マルクス=エンゲルスと一括されて普及してきた理論である。
その始まりは、エンゲルスが「唯物史観(唯物論的歴史観、史的唯物論)」を唱えはじめた辺り(「『経済学批判』書評」一八五九年)と見ることができる。唯物史観という用語を作り、それを中心的な考え方に押し出していったのはエンゲルスであった。そしてレーニンを経て、スターリンによって(「弁証法的唯物論と史的唯物論」一九三八年)、唯物史観は人類史を貫通する「一般法則」にまで高められ、「生産関係の基礎は所有」という命題を軸に全歴史が裁断・図式化される。唯物史観という枠組みの下で、上で見たマルクス『要綱』『資本論』の資本主義の把握・批判は、骨抜きにされていった。
 こう書くとあたかもエンゲルスがスターリン主義の創始であるかのようにとられるかも知れないが、それは行き過ぎである。二〇世紀初頭の資本主義の本格的発展と全面的な物象化という中で、さらに科学万能主義や実証主義の全盛という時代の流れの中で、理論上の敗北が、エンゲルスに限らず名だたる革命家・思想家たちの間で進行したとみる必要がある。
 また、マルクスとエンゲルスの理論的な差異を指摘したが、そのことと両者が終生同志であったこととはなんら矛盾しない。

(4)『資本論』と『帝国主義論』

 帝国主義論についても触れておこう。
 レーニンの意図した『帝国主義論』(一九一六年)は、資本主義が国民経済の包摂において飽和し、その拡大が帝国主義戦争として衝突する世界情勢を描いた「概念図」であった。
 しかし、レーニン以降の「独占段階論」や「帝国主義段階論」という理解と相まって、「現代」の把握においては段階論・現状分析とされ、『帝国主義論』という隔壁で覆われた『資本論』は、「現代」から切り離されてしまった。
 こうして、「マルクス主義」の解釈においては、一方では唯物史観によって、他方では『帝国主義論』によって、『資本論』の資本主義把握を解体していったのである。
 独占をはじめとする帝国主義にかんする指標は、資本主義の矛盾の運動が、国民国家から踏み出して世界市場の包摂にむかう過程で生み出した「形態」であり、資本主義の矛盾の運動にとって通過点であり、それは、『資本論』によってこそ把握できる問題であった。

 グローバリゼーション

 では、グローバリゼーションはどうか? 資本主義の矛盾の運動が、国民国家の枠を完全に踏み越えて、世界市場を実質的に包摂し、グローバルな物象的連関を作り出していることを意味する。生産の私的性格と社会的性格の矛盾がまさにグローバルな展開している。あるいは、神の支配、国家の支配から、究極のマネーの支配である。??グローバリゼーションの現代こそ、『資本論』の把握がよく妥当する。
 革共同は、七一年金ドル交換停止から七四―七五年世界恐慌、そして、グローバリゼーションと新自由主義という展開にたいして、津久井良策(清水)「アメリカ帝国主義とカーター」(一九七八年)や島崎光晴『現代帝国主義論』(一九八四年)、仲山良介『資本論の研究』(一九八八年)などによって把握を試みはしたが、しかし、段階論の枠組みに呪縛され、また現実から隔離・抽象された資本論世界という欠陥に規定され、さらに崩壊革命論に囚われた万年危機論を繰り返すばかりで、「現代」から致命的に背理していった。

(5)革命的やり直し

 二〇世紀の経験は痛苦である。マルクス主義・レーニン主義・スターリン主義による蹉跌である。革共同の破産もその中にある。
 もちろん理論問題だけで総括はできない。さらに理論問題という点でも重大な問題が山積している。しかし、以上で見た視角が一つの鍵であることも確かではないかと思う。
 そして、二〇世紀の経験は無駄ではない。この総括を経てこそ、グローバリゼーションと対決するグローバルな人びとの連関の力で、アソシエーションを掴みだしていくことができる。「新しい組織と運動」はその一助となるために新たに活動を開始する。
 希望は、まだ小さな集まりであるが、こういう議論を開始したことである。