安和、塩川、ゲート前、海上。たたかいは続きます。オール沖縄は、「毎月第1土曜、地域ブルーアクション行動」を提起し、私も読谷で参加しています。
玉城知事は、軟弱地盤にかかわる設計変更を不承認としています。防衛省は、またも対抗措置として斉藤国交相に行政不服審査請求を申し立てています。「防衛省が国交相に」ですから、公平公正な結果は期待できないでしょう。採決まで半年ほどかかると考えられ、例え直ちに認められても辺野古の「完成、運用」までは12年以上、総工費は9300億円以上と見積もられます。その一方、自衛隊が宮古島に弾薬を運び込み、民間港での軍事訓練を計画、かつ本部半島の八重岳で演習をするなど ……。
昨年末、これらの事態や出来事が続いた半分の時期を、私は看取り段階に入った母の傍に居ました。以下は、私事にわたることです。
仏教では、現世の六道の一番上に居る、天人界の天人さえも五つの衰弱の後、死を迎えると言います。まして人間界の、高齢の母でした。幾度か衰弱し、104歳で白地の布で覆われ昇天していきました。101歳前まで神戸に住み、自炊していました。その後、立てなくなり老人施設のお世話に。慣れない環境、ストレスがたまり、面会に行けばグチばかり聞かされました。
そこで「生まれ故郷、沖縄の施設に行く?」と言うと、その日からリハビリに励み、かえって膝を悪くするほど喜びました。神戸の近所の方、孫、ひ孫とお別れ会をすませ、19年5月に沖縄の施設に引っ越しました。場所が変わり、世話も手厚くなった特養施設なのに、なんと「まだ神戸にいる」と思っているのです。
生まれ育った、那覇の港近くに連れて行きました。そのときは沖縄だとわかるのですが、また元に戻ってしまいます。コロナのため面会が制限され、さらに認知が衰え介添えに2人が必要になりました。
100歳になる少し前、世阿弥がいう「入り舞いをするのだ」と言っていました。沖縄でも役者が舞台で舞い終わり拍手とともに袖幕に退場し、もう一度出てきて客の前で踊り舞うことがあります。その「入り舞いをする時だ」と。それは人生の舞い納め。つまり人間界を去るとのことでした。でも、その「入り舞い」を、私は見ませんでした。
母の若きころは、第2次大戦の時代。結婚のため、父が先に渡っていた台湾に行き、そこから本土に行ったため沖縄戦をまぬがれました。しかし、身ごもった身体で防火訓練中に溝に落ち、神戸空襲で焼け出され、疎開先では米軍機から銃撃を受けました。
戦争につながるものを嫌がり、辺野古に反対し、「カンパを届けるよう」依頼されました。沖縄に戻ったのだから一度はいっしょに辺野古に行きたかったのですが、コロナのため叶いませんでした。昨年8月に脳梗塞で倒れ、年齢を考えると手術は難しく静かに天命を待つことに。昨年11月27日、呼吸を停止。母の名前は「ツル」です。(富樫 守)