加計呂麻島の若水(初水)汲み、新年の拝ん行事を、島出身で大阪で三線、島唄教室を開いている牧志徳さんが話した(関西合同労組・春闘集会)。原文を寄せてもらった。牧さんは島人の暮らしと島の自然を紹介し、それを踏みにじるミサイル基地に触れる。
  (本紙編集委員会)

若水取り。私の生まれた加計呂麻島の秋徳という村には、「ウフコゥ」(大川)という清らかな小川が流れています。その上流に行くと、こんこんと水面がもり上がるほどの泉があります。
村人たちは、新年の夜明まえ、一番鶏が鳴く前にその泉から清水をもらい受け、各家庭に持ち帰って、それで御先祖にさし上げるお水をとりかえたり、お茶をわかしたり、ごはんを炊いたりして、新しく年の始めの準備をするのです。その泉や小川の清流から清水を汲み上げることを島では「若水取り」と言います。
クバの葉でこしらえたヌブ(ひしゃく)でその清水を汲み上げる時、村人たちは泉の精霊に次のような声かけをして、神さまのお水をもらい受けるのです。
「醒み、醒み水 水加那志 醒み 今年 黄金や 吾が汲でぃ上しゃおぇろ」
訳/お目ざめなさい お目ざめなさい水よ 水の精霊よ お目ざめなさい 今年の黄金の水は私が汲んで上げましょう。
一見、見事に琉歌調八八八八(六)御音数になっていますね!
こうして神さまから、もらい受けたお水は桶の八分ぐらいまでくみます。けっして満杯にはしません。なぜなら桶を満杯にすると、せっかく神さまからもらい受けたお水をこぼしてしまう危険があるからです。それと、そのお水が入った桶は手に下げることなく頭の上にのせて、大事に大事に家まで持ち帰るのです(頭の上にお供え物を乗せて運ぶ文化、姿は東南アジア、ベトナムやインドネシア、タイなど見られる姿などと共通しているようですね)。
私たち都会暮らしをしている現代人は、水道の蛇口をひねるとすぐさまジャーと水が出てくる便利な生活をしていますが、島の暮らしの中では、海や山、川、村の中の自然のいたる所に精霊が宿り、その精霊たちと島人たちはいつも語り合いながら生きているのです。
こうした暮らしの中から島唄が生まれます。
 いま、奄美沖縄では自然破壊がすさまじく強行されています。戦争につながるミサイル基地や、辺野古などの軍事基地建設がアメリカ、日本国政府によって強行され、島人の心のより所、精霊が宿る森や海、川、自然が壊されています。
奄美、沖縄の自然、文化、島唄をこよなく愛する皆さん! この現状にどう立ち向えばいいのでしょうか。