電気黎明期の日本では、電力会社が乱立し、株主に1割以上の配当還元を当然とする民間電力が、横柄な態度で不透明な料金値上げを繰り返し、暴利を貪っていた。
これにたいして市町村などの基幹自治体が電気料金の値下げや公営電力会社の設立を求め、地域ぐるみで激しく「電灯争議」をたたかった物語。当時は民営会社と並んで市町村営の公営電力も数多く存在し、電気代は民間より1〜2割安く、収益を行政経費に還元させていた市町村も数多くあった(大阪市予算の14%は電灯市営の収益)。「暴利を貪る民間電力の横暴を許すな」。電気代値下げや電力公営化を求め、料金不払い、電灯契約の解除(ランプ生活!)、法廷闘争から政府への陳情、あらゆる手段を駆使した市町村ぐるみの「電灯争議」は全国800以上を数えた。ここには電力会社同士の顧客争奪戦、各電力会社を背後に抱えた政友会と民政党の代理戦争という側面もあったが、それだけでは収まらない民衆のたたかいが厳然とあった。
著者は「社会的共有財産を私物化する電力会社は許せない」という当時の民衆的な自然観に驚きながら、これは水力発電の動力=河川を入会地の延長とみなしたためだろうと推測する。
警官隊との衝突、裏切り者の自宅焼き討ちから一大裁判闘争に発展した長野県赤穂村、県全体を電気代値下げ闘争に巻き込んだ富山県滑川町のたたかいを著者は特筆するが、なぜかこうした闘争はほとんど語り継がれていないという。
電力会社への反発から、民衆は公営電力=自分たちの電気を求めてたたかったが、激化する弾圧と並行して、革新官僚は、こうした民衆的気運を電力「国営化」という形で吸収し、民間もろとも公営電力まで、すべてが戦時国家統制の下に収斂されてしまった。
多彩なエピソードなど、読み物としてもおもしろい。「電気は誰のものか?」その問いは、福島原発事故を経て生きるわれわれに深く突き刺さる。(村)