
1963年5月1日、今から59年前、埼玉県狭山市で発生した女子高生誘拐事件で、部落差別ゆえに無実の罪を着せられ、「殺人犯」にされた石川一雄さんの再審開始を求める集会が2月20日、大阪市内で開かれた。主催は、狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西実行委員会。
元裁判官で弁護士の木谷明さんの記念講演と発言の一部を紹介する。(本紙編集委員会)
狭山には熱と光がある
石川一雄さん
私は83歳になりますが、みなさんの応援をバックに闘っていこうと思います。なんといってもこの第3次で勝利しなければと、精一杯闘っていこうと思っています。みなさんあっての石川一雄でありますので、これかも後押ししていただきたいと心から願っています。よろしくお願いします。
石川早智子さん
昨年10月29日は、2年ぶりに日比谷野音で狭山中央集会が開かれました。多くの皆さんと直接お会いできてとてもうれしかったです。新しい息吹も感じられました。私たちもとても元気になりました。なんとしても再審開始を実現するというみんなの思いを確認し共有できた集会だったと思います。狭山の闘いは熱と光があります。
今年は石川が冤罪に陥れられて59年になります。新事実が出て来たら再審を開始するという基本が無視されています。再審の仕組みを変えなければなりません。いよいよ大詰めに来た狭山再審闘争にいっそうのご支援をお願いします。
裁判官の言葉に涙
青木惠子さん
(東住吉事件えん罪被害者)
私の国賠裁判は昨年9月16日に結審しましたが、裁判所が「和解案」という異例なことを言ってくださって、数回三者協議を持ったのですが、国は席にもつきませんでした。
それにたいして裁判所も怒りを露わにして、和解案を国に送りつけました。しかし国はそれも拒否し、決裂しました。これまで私は裁判所に裏切られてきましたが、国賠裁判では、裁判官が3人とも、私の気持ちをすごく考えてくれました。
「(刑事)裁判に勝ったにもかかわらずインターネットで誹謗中傷が続いている。こんなに長く続いて苦しんでいる青木さんの裁判を終らせてあげたい。判決を出せば控訴され、また時間がかかる」。そういう配慮までして和解案を書いてくださいました。 和解案を読むと、こんな裁判官に巡り会えて本当によかったと思いました。裁判官から、「私は青木さんが無実だと信じています」と言われたとき、感激して言葉が出ず、涙だけを流し続けました。
和解が決裂した後の記者会見で、「国と警察はこれからもえん罪を作ると宣言した」と私はコメントしました。3月15日が判決です。勝てると確信していますが、控訴されてもえん罪と闘う仲間のためにも最後までたたかいます。
石川さんを救うために
西山美香さん(湖東記念病院えん罪被害者)
私は平成30年3月31日に無罪判決をもらうことができました。国家賠償請求は現在進行協議中で、4月28日に裁判が始まります。
私は自分がやっていないことをやったと言ってしまい、こんなことになってしまいました。取調官は早期に「自白」させるためにひどいことをしてきます。私にもひどいことをした上で、「自白」したら急に優しくなりました。私はそれを本当の優しさだと思い、私は刑事に好意を持ってしまうという異例なことをしてしまいました。私の事件は17年で済みましたが、両親はいろいろと苦労したと思っています。いまは両親のために介護をしていきたいと思っています。みなさんに支援していただき、みなさんの優しさで私も優しくなれました。
石川さんの事件は外に出てから知りました。狭山事件を調べてみました。石川さんが大変な苦労をしてこられたことを知り、石川さんを救うために私も頑張ろうと思います。みなさんのご指導のほどをよろしくお願いします。
巌が元気なうちに
袴田ひで子さん(清水こがね味噌事件えん罪被害者家族)
私たちの裁判は、再審開始がなるかどうかという瀬戸際です。私は89歳になりましたが、大変元気です。巌も3月10日で86歳になります。裁判を50年以上たたかっているというのでみなさんは驚くでしょうけれども、私たちにはそんなことは関係ありません。「勝つまで頑張る」をモットーに前向きに考えています。石川さんもそうですが、長い間の苦労というのは、本人でなければわかりません。どうか応援をよろしくお願いします。