カール・マルクスの4女、エリノアの43歳で自死したその生涯を描いた映画である。
 極貧、病気、相次ぐ息子の死など、不幸に見舞われていたマルクス家にとって末子エリノアの誕生と成長は希望だった。父マルクスは娘たちに様々な言語で本を朗読して聞かせ、その本の内容についても真剣に話し合う。彼女は成長して後は、家に集まる社会主義者の議論にも参加した。そのような環境のもと、エリノアは自然と文学や政治などの知識を幅広く身につけた。
 20歳に満たないときから、エリノアは父の秘書役を務めた。各国から届くマルクスの意見を求める手紙に返事も書いた。英語、独語に堪能な彼女は、父の資料づくりにも力を発揮する。
 彼女は『ボブァリー夫人』や多くの文学作品の英訳もこなし、当時イギリスでブームになりつつあったイプセンの『人形の家』の上演に自らも参加し普及に努める。演劇人として目覚めた彼女は女優への道を志したが、両親の反対で断念した。

社会主義運動へ

 父マルクスの死後、エリノアは社会主義運動の様々な場面で積極的な役割を担う。工場の視察では労働者、女性、児童の労働環境の劣悪さを告発した。エンゲルスとともに、マルクスの遺稿の管理や『資本論』を英訳し刊行した。
 エリノアは、社会主義者であり演劇人のエドワードと意気投合し、既婚者の彼と内縁関係になり同棲生活を送る。しかし彼は、弁舌はたつが浪費家であり女性関係も派手。人間的にはまったく不実な男だった。彼女は男の本性を見抜きながら、捨てることができない。彼女が苦悩をあらわにするシーンがある。放浪の後に帰宅し、何食わぬ顔で「ぼくは君を愛するために生まれてきた」とぬけぬけと言う男のために、食事を用意し毛布をかけてやる。その表情は苦渋に満ちる。
 抑圧者としての資本家と男をリンクさせ、激しいパンクロックにのり、下着姿で叫び踊り出す。「資本家も男も、もっともっと限りなく要求する! もうやってられるか!」。父マルクスも娘、女性には無自覚なまま。紛れなく抑圧者だった。
エリノアの、思想に対する揺ぎない信念と、女性に課せられた頸木を自ら破れない現実への叫びが胸を打つ。
 音楽がよい。情緒的な場面。ショパンなどクラッシックが、かわいた色調にアレンジされ流れる。革命歌『インターナショナル』はロックパンクバンドがカバーする。マルクス主義者を自称するバンドらしい。「いざ起ち上がれ!」と勇ましいのだが、私には弱々しく聞こえた。百数十年を過ぎた現在も、人間の解放にはいまだ遠い現実を感じるからかもしれない。エンドロールに流れるインターナショナルを聴きながら、いまエリノアが生きていればどのように歌うだろうかと思う。(磨)