前回の論考に対して「ロシアのウクライナ侵攻を擁護するかのような論調である」と批判が編集部に寄せられている。言うまでもないが、ロシアの侵攻は到底正当化できないものであり、それを擁護する意図はまったくない。読者に指摘のような印象を与えた責任は筆者にある。強調したかったのは、プーチンの「野望」には、欧米諸国の「野望」が対応しているということだ。そこを抜きにして、プーチンの暴挙を批判することも、状況の真の打開の道を示すこともできないと思う。

第二次大戦後の世界

 前回紹介したマッキンダーを引き継いだ地政学者がアメリカのニコラス・スパイクマンだ。彼は、この『ハートランド=ロシア』の周縁国を「リムランド」と命名した。第二次世界大戦後に世界的覇権国となったアメリカが、NATO(北大西洋条約機構)、CENTO(中央条約機構、79年解散)、SEATO(東南アジア条約機構、77年解散)、日米安保条約などをとおして、アメリカが全地球的にロシアを包囲する戦略をとったが、ここにはマッキンダーとスパイクマンの思想が貫かれている。
 たしかに1917年のロシア革命によって、共産主義の脅威を感じた世界の政治家たちや資本家たちは、多くが反共主義に引き入れられたことはまちがいない。しかし、20世紀後半の軍事戦略と世界の覇権戦略は、単なる反共主義ではなく、地政学的な『ハートランド』理論による「封じ込め政策」にあったと考えるべきであろう。
 1991年にソ連が崩壊し、共産主義・社会主義の権威が地に落ちたが、イギリス・アメリカの世界戦略は、あくまでも一貫して『ハートランド』=ロシアを封じ込め、ドイツとの結びつきを阻止するという戦略に導かれている。

ブレンジンスキーの遺言

 ズブグネフ・ブレジンスキー(米民主党の安全保障に関する理論的権威、カーター政権の安全保障担当補佐官)は1996年の自著(注、右下)で、ソ連崩壊後の大混乱の渦中にあったロシアに対して強い警戒感を示している。プーチン登場前のエリツィン時代であり、オルガルヒ(新興成り上がり資本家たち)が跋扈していた時代に、アメリカの「シーパワー」に対抗できる「ランドパワー」としてのロシアの存在が重大視されていたのである。
 ブレジンスキーの著作が出たのは、今から25年も前であるが、その時点で、ウクライナをなんとしてもNATOに加盟させるようにと強力に勧めていたのだ。これもまた、20世紀初頭から実践され続けてきた『ハートランド』理論の思想から発するものだろう。
 バイデン大統領のアメリカ民主党政権内には、ブレンジンスキーの直属の弟子たちが大勢いる。彼らにしてみれば、ウクライナのNATO加盟とロシア封じ込め戦略は、長年にわたって学んできた地政学的な目標なのだ。
 ソ連崩壊以後、ウクライナは当時のロシアと同様に新自由主義の荒波が押し寄せ、西側からの資本攻勢と国家資産の切り売りで、オルガルヒと呼ばれる成金資本家たちの天下となり、大混乱に陥っていた。ロシアは2000年に登場したプーチンの「ロシア第一主義」の下で国内の混乱を収集し、国際政治に復活してきた。しかし、ウクライナは、きわめて困難な状況に直面したまま、2014年の民衆デモの爆発とその後の政変を迎えてしまった。あのユーロマイダンのデモからのウクライナの政権転覆の過程で極右勢力(ネオナチ)を扇動していたのは、米政権内部のネオコンやそれに連なる外交官たちだった。

外交官・ヌーランド

 当時のオバマ民主党政権で副大統領だったバイデンの息子ハンター・バイデンは、ウクライナの天然ガス会社の重役になり、5年間にわたり月5万ドルの給与をもらっていたという。ウクライナの政変には、ビクトリア・ヌーランドを代表とする国務省の外交官(ウクライナ・ハンドラーズ)の力が働いていた証拠である。
 ヌーランドが、当時のウクライナ政府の閣僚名簿を自分たちで指示しているかのような電話通話が傍受され、その音声が暴露されたことがある。そこではEUの政治家たちに悪罵をなげつけていた。ヌーランドはこの通話については、EUに公式に謝罪しているらしい。こうした連中が、共和党トランプ政権や民主党のバイデン政権で、アメリカ外交政策の中枢に舞い戻ってきているのだ。

ロシアの位置

 ロシアは、19世紀以来150年にわたって根拠のない言いがかりによって危機をあおられ続けてきた。第二次大戦では2000万人の犠牲者をだした。ソ連崩壊後のエリツィン時代には、ロシアの天然資源を英米資本によってしゃぶりつくされようとしていた。
 プーチンは「30年前に欧米の政治家は、繰り返しロシアにNATOは東方拡大しないと約束してきた。なぜその約束を守らないのか。」「戦争を挑発しているのは、NATOではないか。」と語っている。ウクライナをめぐる反ロシアキャンペーンに欺瞞があることはたしかだ。
 こうした中で、中国とロシアが連携を強めている。英米基軸にかわる新しい世界的政治秩序をつくりだそうとしているのかは判断できない。しかし、中国・ロシア以外にも米(英)一強支配に辟易している国は多い。そうした国々の感情が世界の政治的外交的バランスに変化をもたらしている。ウクライナで起こっていることは、米英支配の終焉に向けて、世界が大きな転換点を迎えたことを示している。 (おわり)
(注)Z・ブレジンスキー『21世紀のユーラシア覇権ゲーム 地政学で世界を読む』山岡洋一訳(日経ビジネス人文庫2003年)