
3月1日は、安和琉球セメント桟橋入口で辺野古埋め立ての土砂を積み込んだダンプを止めながら、「ウクライナ侵攻をやめよ」のボードを持ち、アピールしました。
プーチンの戦争は、米軍基地撤去へ積み重ねてきた運動、軍事力では平和を維持できないという運動を壊すものでしかありません。私たちは、また一から「武力では平和は創れない」と口を酸っぱく言わねばならなくなるのかと心配です。
沖縄戦を振り返ってもらえばわかります。戦争は酷いものです。それが、ウクライナで起こっています。送られてくるニュースを見ると、悲しい、辛い場面が流されます。でも、沖縄戦であった身震いするほどの画面はお茶の間には映されません。
それを思うと、一刻も早くプーチンに戦争をやめさせたいのですが、米軍、NATOの軍事力に頼む気分が出てくることも心配します。ウクライナと軍事力の差から考えると、プーチンは「ウクライナの中立化と非武装、クリミヤ半島、東部2州の割譲」の要求が実現するまで戦争をやめないでしょう。
沖縄の戦後も大変でした。人権がない。特に女性の人権が侵害されました。発言の自由も制限されました。今も米軍の重石、基地被害に悩まされています。沖縄の戦後から推測すると、ウクライナも簡単にギブアップしないでしょう。日本の場合は侵略した戦争だったから、降伏は受け入れやすかったけど、ウクライナは侵略を受ける側だから、それは受け入れ難いでしょう。
沖縄戦の場合、自軍たる日本軍と住民の間は、かならずしも一体ではなかった。沖縄の住民は徴兵されるという感覚であったし、ウクライナは志願する市民が多いのでしょう。「士気」が高いと言うのでしょうか。そのような違いが、たとえ首都が陥落しても、民族解放運動のような「戦い、闘い」が起こるような気がします。
今のロシアは、戦前の日本のように思えます。当時の日本の指導者は言論を統制し、「大東亜共栄圏」建設と他国を侵略し、太平洋に「生命線」なるものを引き、軍民をどんどん送り出しました。それは、今のプーチン政権がやっていることと似ています。
その侵略戦争は、アメリカ・連合軍に敗北し終わりました。戦争責任の追及は国民、市民によるのではなく、連合国による追及でした。沖縄は、苦しみの道を歩みました。
そう考えると、侵略戦争を終わらせるのはロシア市民でなくてはなりません。私たちが痛みを伴いながら、ロシア市民へ連帯する方法は多くあります。安和でも、スタンディング、アピールを続けます。(富樫 守)