沖縄戦と、その後を伝える「ガマ 鎮魂のトポス〜いくさ場の記憶」大城弘明写真展が3月24日から4日間、神戸市内で開かれた。沖縄戦から77年、復帰から50年。展示作品は70枚ほど。
ひめゆり学徒ら多数亡くなった糸満市の壕、各地の壕に残る遺骨、ガマの中から見上げる入口には緑の木々と空、一家全滅の家跡に置かれた祠と香炉、集められ並べられた遺骨、生き延びた家族の集合写真、人びとが逃げ惑った小道に舞う蝶。そして、辺野古の新基地建設に座り込む人たち…。本土復帰した1970年代から今年22年にかけて撮影された。
大城さんの祖母ウシさんの半身写真に、取材に訪れた若い記者が見入っていた。戦争による傷害の補償を受けるため、大城さん自身が撮った証明写真である。大きな眼帯をいつも付けていたウシさんは、「こんな醜い顔、誰にも見せてないよ」と言っていた…という。
宮古に伝えられてきた、神々に豊穣を予祝する「島尻の秘祭、ウヤガン(祖神祭)」を紹介した写真に、富樫守さんは「沖縄とは、このような村落を基底に持っている『しま』である」と述べていた。
会場で大城弘明さんの話、富樫守さんとの対談があった。大城さんは「香炉が置かれる無言の屋敷跡。イクサが根こそぎ奪った。新しい基地建設が進む。軍隊は住民を守らない。軍隊のいる所に弾がくる」と話した。イクサ場は今も残り、続く。
参加した人たちは「避難したガマ、いまも見つかる遺骨は語り部である。収集され、陽のあたる場所に。それは、沖縄戦を世に問うている」「自分自身を問う、きっかけになった」「ウクライナと重なった」など感想を寄せていた。     (竹田)
(注)大城さんのトークの要旨は、後日に紹介する。