いま 沖縄戦を考える
 
辺野古のたたかいと並行し、読谷村で「ウクライナに平和を」「プーチンは侵略戦争をやめよ」などプラカードを掲げ、土日も含め毎日、国道でスタンディングしています。ウクライナ市民の涙を見て、居ても立っても居られないからです。
3月24日から27日、神戸で沖縄戦にかかわる写真展を開きました。復帰50年の節目に、沖縄戦の実相を知ってもらおう、確かめてもらおうという企画でした。昨年10月ごろからの企画でしたが、プーチン政権のウクライナ侵略が始まり、この戦争を考える機会になりました。
日本は、中国・アジア侵略、太平洋戦争、沖縄戦。その大変な犠牲の代価として「国際紛争を解決する手段として、武力を行使しない」と決めました。沖縄写真展は、それを何度も何度も確認する機会です。
ともあれ、戦争を止めること。そのために沖縄写真展が少しでも役立ったなら、幸いです。
デカルトが「われ思う故にわれあり」を思考の第一原理としたように、この「国際紛争を解決する手段としては武力行使しない」を第一原理として置き、その演繹(えんえき)として他国の間の紛争にも物を言い、日本は「国際社会に名誉ある地位を占める」方がよいと考えます。
 
モノトーンで反戦を
ウクライナに問題があったとしても、「ロシア、プーチンは武力を用いてはならない」「侵略、戦争をしてはならない」とジャッジし声をあげることです。武力を行使する側にも言い分があるでしょう。しかし、私が今、そこに気持ちを向ければ毎日のスタンディングに気持ちが怯むことになりそうです。
武力行使を否定することは、「反戦」ということ。それを大きな声にしていくには、モノトーンが良い。「あなたにも悪いところがあった」と言いたいのですが、それでは反戦の声が一つにならない。我慢して「武力行使は駄目だ」と言うことで、声は大きく響きます。
ドイツでは3月、12万5千人がベルリンのブランデンブルク門に集まりました。このような声は、ロシア市民に届きます。言論統制されたロシアで、国営テレビ「ロシア1」のディレクター、マリナ・オフシャニコワさんが逮捕覚悟で「NO WAR」と書いた紙を掲げました。市民の論理で戦争を止めるには、モノトーンで反戦の声をあげ、ロシアの市民と連帯することが大事です。
 
「核共有」とは何事か
 
これを機に日本も「防衛力を、核共有を」と言い始めています。「武力行使をしない」の声が小さくならないよう、市民が意思を表すことです。
私の第二原理は、武力攻撃を受けた側に対し、私たちが物言いしないこと。ウクライナの市民が逃げたり、降伏したり、戦ったりするのは市民の判断であり、私たちに言いたいことがあっても、物言いをしない。
それにしても沖縄戦と比較して、ウクライナはよく抵抗しています。沖縄戦での米軍総兵力は54万8千人に上りました。日本軍は第32軍6万9千人余、海軍陸戦隊8千人余の7万7千人でした。ロシアとウクライナの兵力差は、ロシアが圧倒しています。そのウクライナの抵抗力はどこにあるのでしょうか。
沖縄戦、太平洋戦争、15年戦争は日本の侵略戦争だったことが根本にあります。さらに主権が天皇に在りました。「天皇陛下万歳」で死地に赴くのと、ウクライナのために戦うことの違いでしょうか。  
 
「国歌」を比べて見た
 
♪ウクライナは未だ滅びず その栄光も自由も絶えぬものなり(中略) 若き兄弟よ運命は未だ我らに微笑むものなり(中略) 兄弟よ我々の土地を治めるのだ 自由のために身も心も捧げよう 兄弟よいざコサックの血脈をみせつけん〜
え? コサックって! ステンカラージンなどのロシア帝国に抗った人たちの子孫か! 自由を求めて戦ったコサックの子孫か! 日本の国歌は、いまも「君が代」です。「君」とはだれ?
     (富樫 守)