
『賃金破壊』を読んで関心をもち、竹信三恵子さんの他の著作を読んだ。
私が働き始めたのは製造業に派遣労働が解禁されて以降。今では労働人口の10分の4を占める非正規雇用労働者の辛酸をいろいろ経験もしたが、労働者の間に横たわる「身分制度」にも似た階層間格差の実相を知りたくて頁を進めるうち、ハッとさせられた。格差問題はニアリーイコール女性差別問題であり、育児や介護を「女がやること」と一段低くみなす家事労働蔑視と不可分だったのである。
もともと誰もが正社員として雇用された高度成長時代。正社員とはいえ、女性は女性であるというだけで差別的低賃金を押し付けられ、結婚すれば当然のように退職するものとされた。育児が一段落した女性は「パート」という低賃金の補助労働で労働現場に復帰するしかなかった。85年男女雇用機会均等法改正によって、あからさまな女性差別は「規制」されたものの、「総合職」「一般職」というコース別人事が設定され、事実上すべての女性が「一般職」として男性社員の補助労働を割り振られ、低賃金の差別待遇は変わらなかった。その後派遣労働が解禁されていくにしたがって、女性が担っていた「一般職」業務は派遣労働者にとって替えられた。
会社への忠誠
現在、労働市場の表向きのルールでは性別や門地は問われない。民族や国籍すら問題となるケースは減っている。しかし正社員になるためには、本人の適性や才能以上に、会社に無条件の忠誠を誓う「能力」が必要とされる。出張、転勤、長時間残業をいとわず、無条件に会社の指示にしたがうことができるかどうか。家族の生活を維持するケア労働が一方的に女性に押しつけられる環境下では、女性であるというだけで正社員の適性がないとされてしまう。そうやって女性労働者の大半は、一人で生きていくのも大変な低賃金労働に押しとどめられる。今では新卒採用から外れたり、リストラされた多くの男性労働者もこの差別的低賃金の枠に流れ込んでいる。
現在、女性労働者の54%、男性労働者の22%が非正規雇用。労働者のなかの差別と格差は形を変えながらずっと続いており、非正規として差別されるのは、多くが今でも女性労働者なのである。
知識として均等法の話を漠然と知ってはいたものの、どこか他人事だったことは否めない。男性の自分も、いざ非正規雇用の現場の辛酸を味わって竹信さんの本を読むと、差別や格差に敢然と立ち向かった先輩女性労働者に敬意や共感を覚えると同時に、女性労働者が味わってきた屈辱を傍観してきた自分の無知を恥じて複雑な気分になった。
同窓会で
同窓会で同い年の女性労働者がぼやいていた。「会社の後輩が言うねん。私は結婚しませんて。仕事も男性以上に頑張って成果あげてるのに、結婚したら仕事に加えて家事全部しなあかんて何の罰ゲームですか、仕事も家事もよろしくっていう男の人が多いから私は結婚するつもりありませんって。私も何の罰ゲームやと思いながら家事やってるから、何も答えられへんかった。でも私は自分の自由のために仕事は続けるよ。世の中少しずつ変わってるけど、男性の意識は古いまんま。少子化はもっと進むで」。
一定の知識と技能を要するケア労働を身につけることは男性が生きていくためにも必要だ。高校家庭科が男女必修となり、男性の家事負担率が上昇するなど状況も少しずつ変わっているが、男性が家事を教わる機会はまだまだ少ない。親元を離れた若い男の子が職場で毎日カップラーメンをすすっている姿を見ると「仕事教えるより料理教える方が先だろう」と思う。コンビニ弁当だけ食べて身体を壊す男子がどれほどいることか。女性とケア労働を見下す男性は自分で自分のクビを締めることになる。
竹信さんの著作には非正規格差とたたかうヒントが詰まっている。
(掛川 徹)