
「維新」が議席を伸ばしている現象は、トランプ現象やブレグジット(イギリスのEU離脱)と同じく、グローバル化のもたらす問題だ。では、グローバル化とは何か?案外と自明ではない。今回はその特徴と意味を見たい。
(1)労働力のグローバルな取捨選択
グローバル化とは、資本蓄積のグローバル化。資本の蓄積運動が、従来の国民経済(と大企業体制、その多国籍展開)の枠組みを振り払い、国民国家の制御を脱却(新自由主義)して、グローバル(無所属・無国籍)に展開することだ。その最大の特徴は、「労働力のグローバルな取捨選択」。
資本は、グローバルな賃金格差を見ながら、資本の収益率だけを基準に投資先を選択する。当然、相対的に高賃金の先進国労働者を切り捨て、低賃金の新興国労働者に取り換える。これにより労働コストが下がり、資本の収益率は向上する。もし、投資先の収益率低下が予想されれば、直ちに別の投資先へ移動する。資本は、投資先の経済や社会がどうなるかに何の関心もない。
ところが、特に先進国労働者が、国を離れることはほぼできない。先進国の大多数の労働者・事業者・住民は、グローバル化する資本に捨て置かれることになる。
◇エレファント・カーブ
新興国中間層の所得が大きく伸びる一方で、先進国中間層の所得の伸びが停滞している。このことをグラフで示したのがエレファント・カーブ(図)。資本蓄積のグローバル化の結果、先進国では、産業空洞化、地域経済の停滞、雇用不安、賃金の下方圧力、労働条件の悪化が進んでいる。ここにポピュリズムの経済的根拠も示されている。
(2)金融の高利化
グローバル化は、同時に金融の高利化だ。資本市場の規制緩和により、グローバル資本市場が誕生し、高利資本(マネー、投資ファンド、投資銀行、機関投資家など)が大量に解き放たれ、従来の利子生み資本(商業銀行など)に代わって、資本市場のヘゲモニーをとっている。
近代の利子生み資本は、信用制度の下で(社会的生産を媒介する)現実資本に管理され、現実資本の蓄積を促進する金融(資本配分の最適化)を担ってきた。ところが、高利資本は、現実資本の蓄積に何の関心もなく、社会的生産に破壊的ですらある。例えば、高利資本からの株主価値最大化の圧力を受けてコスト削減を重ねた米ボーイング社は、立て続けに墜落事故を起こしている。あるいは、サブプライムローンでは、中低所得層の生活を借金のカタとすることが高利資本の収益源となっている。挙句は、デリバティブに象徴されるマネーゲームである。結局、前近代と同様、高利資本は、社会的生産の破壊をもって蓄積するものでしかない。むしろ、そういう高利資本の姿が、生産の社会性を明らかにしている。
(3)グローバル覇権の拡大
さらに、グローバル化は、アメリカの覇権のグローバル化と一体、イラク戦争などの侵略戦争と不可分であった。グローバル資本の自由を至上の価値とし、グローバル・スタンダードとして押し付け、各国市場をこじ開け・破壊し・席巻する。資本のグローバル化に乗じて、アメリカは、世界をアメリカ化する勢いで覇権のグローバルな拡大を推進してきた。
かつて、アメリカが(ソ連との「冷戦」に補完されつつ)核とドルをもって、擬制的だが一定の相互性のある戦後秩序を形成してきた。しかし、資本のグローバル化とアメリカのグローバル覇権拡大は、世界を「自由」の価値で統合するどころか、戦後秩序を破壊し内外に逆流・対抗を生み出している。一方で、連邦議会乱入事件まで引き起こしたトランプ現象、他方で、ロシアのウクライナ侵略戦争である。アメリカ自体が資本のグローバル化に翻弄され、グローバル覇権拡大の行き詰まりに逢着している。
(つづく)