1968年8月20日、ソ連を主力とするワルシャワ条約機構軍50万はチェコスロバキアに侵攻した。「プラハの春」を圧殺するためであった▼チェコ首脳部は緊急事態令を発して軍隊を兵舎に押しとどめた。秘密の防衛ラジオ網は、非暴力的な抵抗運動を呼びかけ、8カ月間にわたってソ連の完全支配を寄せ付けなかった▼敗北したのは、チェコ首脳部が降伏したことによるものであって、抵抗運動が敗北したわけではなかった。もし、チェコ軍が軍事的に応戦していれば、膨大な犠牲者を出したであろう。そう説くのはアメリカの政治学者ジーン・シャープだ▼「非暴力のマキャヴェリ」という異名を持つ彼は「抑圧と専制政治を打倒し、侵略を抑止・撃退する潜在的力量が社会に内在する」という。それは軍事力ではない。「非暴力闘争」のことである。その有効性を示した例が68〜69年のチェコスロバキアの闘いだったのだ▼ウクライナの戦争が泥沼化するなかで、「非暴力の優位性」を考えてみたい。(露)