
1960年代の歌声運動で唄われた歌には、名曲『カチューシャ』に代表されるロシア民謡がたくさんあった。その一つに『ロシア人は戦争を望むか』があった。60年以上も昔のことなので正確には憶えていないが、歌詞はこんなようだった。
「戦争を望むかロシア人に聞け 広い野や畑 緑の大地に 白樺の陰でまどろむ兵士に君よ聞いてみよ ロシア人が戦争を望むかと…再び我らの祖国の大地に 兵士の血潮を流してはならぬ 帰りを待つ母や若い妻たちに 君よ聞いてみよ ロシア人がロシア人が 戦争を望むかと…」
米ソ対立の時代、ソ連(ロシア、ウクライナ、白ロシア…)は平和勢力の先頭に立つ国と多くの人に考えられていた。私もそう信じていた。軍・民合わせ、第二次世界大戦の戦死者が一番多いのはソ連2000万人、次がドイツ500万人、日本は300万人と言われていた。「二度と戦争はしたくない」という気持ちがあふれていた時代だ。
その後、米ソの対立競争は極限に達し何度か核戦争の瀬戸際までいった。やがてソ連はその政策の誤りにより競争に敗れ瓦解し、いくつかの国に分かれていった。いまのロシアの50〜60代は塗炭の苦しみを味わった世代だと思う。経済は弱くなり、官僚と軍隊はたくさんの失業者を生み出した。政治は混乱し、闇経済が横行し治安は乱れ、社会不安は広がった。人々は右往左往のなかで強い力の出現を願った。
そんなとき街のチンピラだったプーチンが、柔道が縁? で公安警察に拾われ、凄腕を買われて政治の世界にのし上がっていく。軍隊も官僚もオリガルヒと呼ばれるようになった新資本家たちも、プーチンに期待した。
そのやり方は大ロシアの復活、身近な敵を次々とつくり出すナチスばりのやり方だった。手間暇かかる民主主義より独裁体制の方がはやく、安心・安全社会に行けるとロシアの多くの人が思ったのだろう。自分たちの邪魔をするものは、すべてナチスと呼ぶ。かつてともに手を携えてナチスドイツと戦ったウクライナも、ナチスに見えるようになったのかもしれない。
ウクライナの惨状は目を覆うばかりだ。ロシア軍の被害も相当なものだろう。早く戦争をとめねばと思う。でも戦争が長引けばいいと思っている人たちがいる。1発1千万円のミサイルで1台1億円の戦車が破壊されるとき、作った軍需産業は儲かる。軍需産業は「死の商人」と呼ばれたのではなかったか。欧米にもロシアにも「死の商人」が跋扈している。地政学とやらで考えるよりも、「死の商人」を生み出す経済のしくみにもっと目をむけるべきではないか。
ロシアの黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が、火災を起こして沈没したという。黒海、オデッサといえば名画『戦艦ポチョムキン』を思い出す。反乱を起こした水兵に鎮圧軍が銃口を向けたとき、一人の水兵が1歩前に出て「兄弟たち、いったい誰を撃つというのだ」という一言から、状況は大きく変わる。
ロシア・ウクライナ戦争も欧米の政治家やプーチンが止めるのでなく、前線で向き合う兵士同士が「兄弟たち、いったい誰を撃つのか」と叫ぶところから、状況は変らないだろうか。