「ウトロに生きる ウトロで出会う」をテーマに、在日コリアンが多く集まる京都府宇治市のウトロ地区の歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」(田川明子館長)が、4月30日オープンしました。
ウトロ地区は1941年、日本政府が、京都軍事飛行場建設に、1300余人の朝鮮人を動員した結果、不毛の地の上に建設された朝鮮人の集落です。朝鮮人たちは、昼夜、過酷な労働を強いられました。工事は日本の敗戦で中断。何の保障ももらえず、この地域を第二の故郷に、助け合いながら生きてきたのです。
去年8月30日に起きた放火事件で、貴重な歴史的資料が多数焼失。歴史館の田川館長は、「犯人が実際にウトロの人と出会っていたら、こんなことをしなかったかもしれない。まずは出会うことだ」と語っています。
「飯場」を再現
記念館は3階建てで、敷地の入り口には、戦前に建てられ、1980年代まで住居として使われていた「飯場」を移築し再現しています。そばには、生活水を汲み上げていたポンプがあります。
1階は交流のための多目的ホール〈ウトロカフェ〉。人びとが集うイベントや学習会が開かれます。
2階は、常設展示室で、ウトロ地区の形成と生活の様子や、地域を揺るがした土地問題とウトロを守るための闘いを振り返ります。
3階は企画展示室で、常設展に入りきれない多彩なテーマを随時展示。第1回は、亡くなった在日一世の写真展「ウトロに生きた人々」が開催中です。ウトロを起点に朝鮮半島と日本社会に関する幅広いテーマを予定しているようです。3階のベランダから会館の周りを見ることができます。南側からは飛行場の後にできた陸上自衛隊大久保駐屯地を一望できます。
4月30日から5月5日までウトロウィークで、劇団タルオルムのマダン劇「ウトロ」、ウトロ出身歌手の鄭雅美(チョンアミ)さんのミニコンサート、映画「ウトロ〜家族の街」上映、安聖民(アンソンミン)さんのパンソリ、そして川口真由美さんや東九条マダン、京都朝鮮歌舞団のお祝いコンサートがおこなわれました。
出会って知ること
3年前に始めてウトロを訪ねたとき、フィールドワークで地区の中を案内していただきました。新しい住宅が1棟完成して、新しい生活が始まっていましたが、地区の名物ハルモニ、最後の一世のハルモニは、新しいところは落ち着かないと、元の住み慣れた住居に戻っていかれたと聞きました。そのハルモニも一昨年の秋に亡くなられました。2階の常設展示室でハルモニのパネルが笑顔で迎えてくれます。
今年、5月1日、劇団タルオルムのマダン劇「ウトロ」を観てきました。ウトロ出身のジャグリングの世界的パフォーマー、チャンヘンさんをモデルに、在日コリアンとして生まれた少年を取り巻く家族たちの物語を劇にしています。1時間ほどの劇の中に、差別の問題や国籍の問題など盛り込んで、ウトロでたくましく生きる生きざまを表現しています。マダン劇は、マダン(庭)で車座になって、観衆も劇中にまきこんで行われます。今回は、済州島の民衆歌手、チェサンドンさんがゲストで紹介され、ギターの弾き語りで、数年前にウトロを訪れて作った歌、「ここは我々が生きて守る場所」を歌ってくださいました。
「ここは我々が生きて〜、生きて守る場所〜」が今も頭の中を巡っています。
ウトロの放火事件の裁判も始まりました。被告は「在日コリアンに恐怖を与える狙いがあった」と動機を話し、「反省も後悔もしていない」と話しています。ウトロ出身のク・リャンオク弁護士は「私の体が燃やされたようだ」と語っています。そして「私が最も恐れるのは、社会の無反応です」と強く訴えています。
ヘイトクライムがまかり通る社会は、政府が過去の負の歴史をきちんと清算もせず、無きものにしようという姿勢の反映です。まずは出会って知ることから始めましょう。一度は記念館を訪れてみては。 (佐野裕子)