
5月21日、大阪府高槻市にて「広嶋、長崎から福島へ続く被害—内部被ばくの危険性を考える—」集会が開かれた。被爆者健康手帳交付を求めた「原爆『黒い雨』訴訟」の原告であり、支援する会の事務局長の高東(たかとう)征二さん(写真)の講演と、高東さんと一緒に「黒い雨」体験の聞き取り、取材を行ってきた毎日新聞の記者・小山美砂さんの話があった。(小山さんは広島支局からこの4月大阪本社に異動)。
会場には青森、名古屋など遠方からの参加もあり、100人近くが集まった。
1945年8月6日、爆心地から9キロ西の広島市旧観音村(現佐伯区)に住んでいた高東さんは当時4歳。そこで「黒い雨」を浴びた。小学生の頃にリンパ節が腫れ、3度の手術を経験した。2002年、「佐伯地区黒い雨の会」を立ち上げた。
近所に住む人が体調を崩したり、病気かどうかわからない人が何人もいると聞き、一軒一軒訪ねて聴き取り調査をはじめた。会に集まった人が次々と自分の体験を語った。あと何日生きられるのかわからないという深刻な状況の人もいた。
「黒い雨地域拡大」を求める署名を集めて、広島県や広島市議会に提出した。しかし厚労省が認めなかった。2015年11月、高東さんらは裁判に訴えることにした。放射性微粒子が体内に入り、内部被ばくする状況であったと訴え、5年4カ月の裁判をたたかった。
住民の中で「裁判」のことがわからない人にはていねいに説明した。つながりをつくるために裁判ニュースを毎回発行した。2020年7月、広島地裁で勝訴した。しかし国、広島県知事・市長も控訴。2021年7月、広島高裁は控訴を棄却、地裁判決を補強する全面勝利判決が確定した。原告84人全員が被爆者として認定され、被爆者健康手帳が交付された。
「黒い雨訴訟を支援する会」は「黒い雨被害者を支援する会」に改称した。高東さんは、原告以外の被爆者や裁判に参加できずに苦しんでいる人びとも救済するよう求めて、今もたたかっている。
被爆者を踏みつける国
高齢の被爆者を前にして、地裁で勝訴判決が出たにもかかわらず、理由にならない理由でもって控訴して裁判を長引かせ、被爆者が亡くなるのを待っているとしか思えないような国の姿勢には、怒りをおぼえる。
小山美砂さんの話にもあったが、国は被爆の問題を隠し、援護対象を広げさせないために「科学的、合理的根拠」を持ち出して、被爆をなかったことにしようとしている。今年4月、厚労省は「黒い雨」検証会を開き、4億円かけて援護対象区域を「再検証」すると言っている。内部被ばくを認めないためだ。いったい何度、被爆者を踏み付けたら気が済むのか。
高東さんは、76年たって、「『黒い雨』被爆者が、今、どんな困難な生活を強いられているのかを厚労省は見ようとしない。内部被ばくを認めたくない一心で無駄な金を使おうとしている。許されない」と言われた。
最後に、体調がすぐれない中で来阪した高東さんは、「命のある限り核廃絶を求め、被爆に苦しめられ亡くなった多くの人のことを、講演を聞きに来た人たちや広島を訪れた修学旅行生たちに話していきたい」と力強く語られた。広島出身の私には、高東さんの懐かしい広島弁の中にやさしさがにじみ出て、私もがんばろうと思いを新たにした。 (入江友子)