福島原発事故の避難者らが、国と東電を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で最高裁は、「国の賠償責任」を認めないと判決を下した(6月17日)。「国が東電へ津波対策を命じていても、津波による大量浸水は防げなかった」「仮に防潮堤を設置していても津波は想定より巨大であり、防げなかった」というのだ。
関西へ避難し、「避難の権利」を訴え続けてきた森松明希子さんは、責任をとらない国を厳しく糾し、「避難の権利、被ばくからの自由」を次のように訴えた(6月25日/市民デモHYOGO学習会、神戸市内)。
——被ばくしない権利の確立を求めてきた11年間。この国は、本当に誰も責任をとらない。国は、避難者が戻っていなくても、工事関係者や移住者が増えたら、帰還率が上がったと言う。
原発から60キロの郡山市から、関西へ避難した。国のいう避難地域ではない。自主避難と言われるが、「自力避難」です。国際的には国内避難民とされる。日本では、国も電力会社も責任をとらない。そして「避難しなくてもいいのに、避難したんでしょ」「ナーバスすぎる」と言われる。実際には、汚染は200キロ、300キロまで拡がり、郡山も高線量ホットスポットがあった。いまでも悔やむのは、0歳と3歳の子どもに水道水を飲ませてしまったこと。
火事なら「煙を吸わない、逃げる」のは、当たり前。原発なら「被ばくしない」が、当たり前にならなければ。みなさん、逃げることは権利だと考えたことがありますか。
一方で強制避難地域の人たちは、突然、着の身着のままバスに乗せられ、家族みんなで暮らしていた日常を断ち切られた。これは何の権利の侵害でしょうか。原発事故で侵害されたのは、放射線被ばくから免れ、健康を享受する権利、命・健康に対する自己決定権、健康に生きる権利、避難する権利です。国連も、健康に対する権利を保障するよう勧告している(グローバー勧告)。
憲法は人権の盾。原発の問題は憲法問題だと思う。憲法でいうなら13条、そこに「被ばくからの自由という言葉、権利」を創りたい。——
森松さんは、近著『災害からの命の守り方—私が避難できたわけ—』(文芸社/税別1700円)にまとめた。ようやく、新聞なども「被ばくからの自由」を言うようになったと話した。