今度の参議院選で争点となったのが物価高への対応である。日本は日常生活に不可欠な物資の多くを輸入に頼っている。円安が進行すれば輸入品価格が上昇し、国内の物価高騰に直結する。工業生産力が低い国で普通に見られる傾向だ。
戦後の日本も、ながらく1ドル360円という超円安の固定為替レートの下で、国内製造業の再生を図ってきた。しかし、80年代以降、生産拠点の海外移転を進めたことによって「産業の空洞化」が生じた。国際競争力の指標となるのがGDP成長率だが、昨年の日本は世界第158位だった。「成長か分配か」というニュアンスの差はあったとしても、各党の論調は、「円安克服のために高成長の実現を」が大勢を占めていたようだ。
はたしてそうなのか。ちなみ157位はパプアニューギニアである。これをもってどちらが豊かで、どちらが貧しいと決めつけることはできまい。ある期間に国内で産出された付加価値の総計をあらわすGDPは、大規模な災害が起きれば、医療費の増加や復旧需要によってハネ上がる。一方、日常的な人びとの無償の助けあいはGDPに計上されない。つまり、GDPとは人びとの実質的な幸福を表わす指標としてはかなりできが悪い。
「経済成長」の追求が、かえって社会から人間らしさを奪ってきた理由がここにもある。(露)