新自由主義の下で住民同士の利害が二分化し、その対立が先鋭化する現象が世界各地で生じている。日本で住民間の対立を考えたとき、連合問題を避けて通ることはできない。村岡到氏が主催する『フラタニティ』№26に掲載された「連合」論を以下転載する。

 連合―日本労働組合総連合会。700万人を組織する、日本最大の労働者組織。日本最大の政治勢力とも言えるが、政党と違って連合の言動が論評の対象になることは少ない。
 たとえば組織票26万票を抱える電力総連。先の衆院選では野党候補の原発にたいする姿勢をランク付けし、原発反対候補の応援を取り下げた。原発推進なら自民党候補でも支援する。彼らのHPでは「資源小国だから原発しかない。プルサーマルも推進」とその立場を堂々と表明している。彼らがその言動について社会的責任を問われたことは、私が知る限りこれまで一度もない。
 連合の主要な大単産が何らかの社会変革プランに同意しない限り、大規模で根底的な社会変革は望めないと思うが、新旧左翼のいずれも歯が立たなかった連合とはいったい何なのだろうか。
 正社員クラブ、経営者予備軍とさまざまに揶揄される連合ではあるが、民主的手続きを経て承認された、まぎれもない労働者組織である。しぶしぶであれ、消極的にであれ、700万の現場労働者が連合指導部を認めている。その納得の仕方、彼らなりの現状認識を踏まえない限り、実効性のある社会変革プランは組み立てられないと思う。
 
資本主義と労働運動
 
 なぜ左翼の世界では連合傘下の労働者がまるで存在しないかのように扱われるのか。
 F・ボルケナウがそのあたりの事情をわかりやすくまとめている。
 「工業の発展、機械の導入、工場とプロレタリアートの数と規模の伸長が労働者と雇用者の階級対立を増大させ、プロレタリアートをますます革命的にめざめさせつつ団結させるであろう、とマルクスは確信した。
 イギリスの労働組合の発展はこの見解に真っ向から対立した。これはおそらく、1848年の敗北のあと、労働運動が陥った麻痺によるものであろうとマルクスは考えた。ところが、麻痺は去ったが、イギリスの組合の改良主義は残った。それは労働者階級の最上層、つまり強力な組織によりブルジョアジーの利潤の一部にあずかれた高度熟練労働者に限定された現象であるといわれた。ところが、労働貴族の組織に続いて、80年代には未熟練労働者の組合が出現した。これらの組合は独力では実際あまり利益をえられなかった。したがって、かれらは社会立法に頼り、労働運動を議会主義的活動と労働者の党の形成に沿って行った。しかし、漸進主義、改良主義、立憲主義的性格は運動についてまわった。プロレタリアートはおよそ革命的観念を持たず、その生活水準は実質的に向上した。
 そこでマルクスとエンゲルスはかれらの革命的希望と、かくも全然反対な事実を説明する別のやり方を発見した。イギリス労働組合の改良主義は特別な国民的事情、つまり、利潤をあげる大帝国の存在によるものである。労働者は植民地利潤にあずかっており、したがって、この帝国の永続とイギリス・ブルジョアジーの支配に利益を感じていると。レーニンは経済問題を道徳と混同して、のちに同じ考えを定式化したが、それによれば、ブルジョアジー、特にイギリス・ブルジョアジーは、プロレタリアートの一部に『贈賄』することにより階級の利益を『裏切』らせているというのである。
 マルクスとエンゲルスは70年代と80年代にこの理論を発表したが、これは同時代の発展により否定された。1870年以降、イギリスのやり方は大陸に広がった。強力な労働運動が大陸のほとんどの国にも発展し、労働組合は平和的手段により労働者の労働のわけまえを増大させた」(F・ボルケナウ『世界共産党史』)。
 
ベルンシュタイン論争
 
 こうした現実に踏まえ、労働運動が革命的とは限らないことを最初に提起したのがベルンシュタインだった。レーニンはベルンシュタインと同じ現実に踏まえつつ、「知的道徳的に優れた」職業革命家集団が労働者に「正しい階級意識」を外部注入することで、労働者は革命の主体になるという「外部注入」論で理論と現実の矛盾をクリアした。この時点で、レーニンは「労働者の自己解放運動」という共産主義運動の理念を書き換えているのだが、ボリシェビキがロシア革命に勝利したことで「外部注入論」こそが左翼の聖典とされ、ベルンシュタインが提起した問題は歴史の闇に埋もれることとなった。ベルンシュタイン論争がまるまる100年間封印されたことで、民間大単産の労働者がどういう環境に置かれ、何を求めているのかというテーマも封印された。左翼が労働運動の現場でほぼ無力化した由縁である。連合問題として直面しているテーマはまさにベルンシュタイン論争そのものである。
(つづく)