
苦悩する男たち
『男性学入門』。著者の伊藤公雄さんの大学の授業や講演をまとめた本である。少し旧い本であるが、「男性学」という未知の分野を鍵に「女性学」とジェンダー論を深めるために今回取り上げたい。
「男性学」は「女性学」の発達に対応して生まれたものだ。「女性学」がしばしば欠落させてきた「男性性」の内在的批判を、男性の目から展開しようとする点に意味がある。「男性学」は、男性中心、男性優位の社会であるがゆえに、様々な問題に苦悩する男性の生き方を探る研究である。
男性中心社会における「男らしさ」とはどのようなものであり、それは何をもたらしたのだろうか。この本ではいろんなエピソードが紹介されている。
いじめ自殺 いじめによって自死に追い込まれた子どもは、圧倒的に男の子が多い。男の子の場合は「男は弱みを見せてはならない」「男はがまんしなければならない」と幼い時から自己形成させられているため、他者に助けを求めることができずに死を選ぶことが多いらしい。(鎌田慧・保坂展人『いじめられている君へ いま言えること、伝えたいこと』)
教育、自己形成 子どもの頃を思い起こせば、教師は元気な男の子には「活発でよろしい」と評価するが、活発な女の子には「もう少し、しとやかに」とたしなめる。出席簿や行事の順番は男の子が先で、女の子が後(最近は変ってきたようだが)。級長は男の子で、女の子は副級長。教科書を見れば、書き手や登場人物は圧倒的に男性優位。歴史は男だけがつくり、女性の存在はごく一部だけだ。選択科目では、男の子が技術科で女の子は家庭科(これも最近は改善されているらしいが)。女の子の劣位を教え込まれる一方、いつの間にか「男が優先」ということを、特に男の子に植え付けられていく。
子どもたちは、根強い性別役割分業を再生産する日本社会の政治や文化の構造のなかで、幼児教育の段階からその価値観に無自覚なまま縛られていく。劣位におかれた女性も無念ではあるが、一生涯にわたって優位に立ち続けなければならない男性もきびしい人生である。それは破綻するし、あわれである。

過労死 過労死110番の弁護士によると、過労死で死んでいく男たちの圧倒的多数が「妻が専業主婦」であるという。「家のことは妻にまかせた」と昼夜を分かたず働き続け、あげくの果てに死んでいく男たち。
「男たるもの、仕事ができてこそ一人前だ」と男性中心社会での「男らしさ」の犠牲はあまりに痛々しい。死後、妻が労災を申請しても、会社は個人の責任に転嫁し、「過労死するほど仕事をさせていない」と申請書類に捺印を拒否する例はいくらでもある。会社のために命をかけて働いてきた労働者に対する仕打ちがこれである。
会社は過労死した男性だけでなく、家庭で彼を労働者として再生産してきた女性(妻)をも、間接的に搾取・収奪し、そして切り捨てるのである。 (つづく)