
閉塞感にすがすがしい風、本物の教育論
ブレイディみかこの著作を2冊紹介する。
『女たちのポリティクス』は日本の閉塞感にすがすがしい風を吹き込んでくれる。「自分たちも政治に参加すれば、自分たちが置かれている状況を変えられると信じた」世界の女性政治家を20人近く紹介する。
女性参政権が初めて認められた英国総選挙(1918年)で、アイルランドのシン・フェイン党候補として初の女性国会議員となったコンスタンス・マルキエビッチは、英軍に向かって銃を放ったスナイパーだった。
「ナチの再来防ぐには、倹約と清貧で国の借金を減らすしかないのよ」という。財政均衡原理主義者であり、社会的市場経済めざすアンゲラ・メルケル前ドイツ首相。スコットランド独立運動の旗手でありSNP(スコットランド国民党)党首として、2015年総選挙で6議席からいきなり56議席まで増やしたニコラ・スタージョン首相。「トップ1%のリッチな人々に70%の税率を科すことにしましょう」と富裕層を震え上がらせた米民主党の最年少議員オカシオ・コルテス。
国王の馬に身を投げ、死をもって訴えた100年前の「サフラジェット(女性参政権運動家)」のエミリー・デイビッドソン。「コロナ対策優等生」の台湾、蔡英文総統。BLM運動(ブラック・ライブズ・マター)を立ち上げたアリシア・ガーサ、パトリス・カラーズ、オパール・トメティ。新自由主義的政策を掲げたマーガレット・サッチャー。米国初の女性副大統領となったカマラ・ハリスなどなど。
左右を問わず世界のユニークな女性政治家たちを紹介し、「政治という究極の『男社会』でどのように上り詰めていったか」、その政治的手腕を生き生きと描く。「女たちのポリティックスは再び燃えているか」(あとがき)は、女性たちに送る心からのエールだ。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の「誰かの靴を履いてみること」という章に釘付けになった。イギリスの慣用句で、「他人の立場に立ってみる」という意味である。人の靴を誤って履いた経験は誰にもある。持ち主の足の形や体温が実感され、自分の足が他人の足になったような奇妙な感覚だ。
それを自ら行なうというのであるから、感服する。日本に、このような慣用句があるのだろうか。イギリスには「誰かの靴を履いてみること」を大切にする文化があるんだと思うと、ぐっときた。
みかこと息子の会話。「試験、どんな問題で出たの?」に対し、息子が「『エンパシー(共感)とは何か』だった」と答える。横で聞いていたオヤジが「俺にはわからねえぞ。めっちゃディープで、難しくね? なんて答えたんだ」。息子は「誰かの靴を履いてみることって書いた」と言う。
「シンパシー(共感)」は親しみある言葉だが、「エンパシー(共感)」は初めて聞く。前者は同情というニュアンスが強く、後者は「他人の感情や経験などを理解する能力」という、能動的な行為。11歳(中1)の子どもたちが、イギリスではエンパシーについて学んでいる。
イギリスの公立中学では、「シティズンシップ・エデュケーション(市民教育)」が必修で、「政治や社会の問題を批判的に探求し、エビデンス(根拠)を見極め、ディベート(討論)し、根拠ある主張を行なうためのスキルと知恵を生徒たちに授ける授業」とあり、議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、法の本質や司法制度、市民活動、予算の重要性などを学ぶという。
文部省(現文科省)初等中等教育長通達による指導上の留意事項ばかりの日本の政治教育と、別世界の出来事かと思う。18歳で投票権を初めて持った若者たちの投票率が、非常に低い。原因はどこにあるのか。ユニークな、というか本物の教育論に触れることができたように思う。 (石田)