安倍晋三元首相の国葬に対する反対意見が、湧き起こっている。政府は、7月22日の閣議決定を撤回し、国葬を中止すべきである。
政府は「内閣設置法に、内閣府の所掌事務として国の儀式に関することが明記されている」(松野博一官房長官)ことを「法的根拠」としてあげているが、理由にならない。大日本帝国憲法下で公布された国葬令は、新憲法の施行に伴って、1947年12月31日に失効した。したがって、国葬が同法にいう「国として行うべき事務」であるとは考えられない。
戦前の国葬は、天皇が「功臣」に与える栄誉として行われ、人びとは「功臣」を褒めたたえ、哀悼することが強要された。
43年に戦死した山本五十六の国葬の際には、文部省が全国の幼稚園から大学まで「元帥の忠烈を追慕し、哀悼の意を表せしむるとともに、学徒の戦争意識の昂揚を図るために」として、遙拝式を行うよう指示した。
かつて、ナショナリズムを高揚させ、人びとを戦争に駆り立てる装置であった国葬について、その賛否を問うこともせず、一片の閣議決定だけで復活させていいはずがない。
安倍氏の殺害をめぐって統一教会と自民党との長年にわたる癒着が暴露されている。現在も多くの被害者を生みだし続けている宗教団体が、政権与党の「庇護」の下で野放しにされてきたのだ。国葬によって、一切の疑惑を不問に付したいのだろうが、許すわけにはいかない。