
今年も、広島、長崎、敗戦の日の8月がきた。共に平和を祈りながら、しかしふと、喉元に小さなホネが引っかかるのだ。子どもたちの読み上げる詩にはいつも心うたれる。全身で平和を感じ、願うその素直さに▼今年のナガサキの子ども代表は、イタリア人を父に持つ少年が選ばれた。そんな風に世界の輪を意識するなら、なぜロシアに招待状を送らなかったのか。ロシアの大使は一人で献花に訪れ、招待状が来なかったことへ遺憾の意を述べていた▼そこは平和への祈りの場である。戦争する国をひざまずかせる場である。今、あまりにも「排除の論理」が先行していないか。「ロシア排除」が善になり、国連でもロシアの演説の途中に西側諸国が退場した。その報復で先日は林外相の演説にはロシアが席を立った▼お互い話ぐらい聞けよ、と思う。ヒロシマ・ナガサキの場だけは、礼儀を尽くそうとしたロシア大使の姿が印象的だった。「平和」というこの場こそ、「排除」はやめたらどうか。(侑)