
連合とはどういう性格の組織なのだろうか。労働運動の領域で素人の筆者にさほど確たることが言えるわけではないし、木下武男氏や熊沢誠氏のすぐれた論考につけくわえるほどの深い見識があるわけでもないが、いくつかの労働現場を経験してきた立場から、問題に接近する視点を提起してみたいと思う。
ここまで「連合だって労働者組織」という点を強調してきたが、連合を労働者の自主的組織とみなすことに実は筆者も強い抵抗がある。連合を「労働組合」と呼んでいいのかどうかもずっと迷っている。
筆者が経験した職場では、「経営の必須事項だからオマエ、労務のことも勉強しとけ」という会社の意向で組合役員にとりたてられるケースがほとんどだった。事前の内示もなく勝手に組合役員に立候補すれば会社から報復人事を含めてすさまじい攻撃を受ける、という生々しい話も直接耳にした。ある会社では給与を年収ベースで100万切り下げる事態も経験したが、組合役員が何度も行う「職場オルグ」では、組合員の疑問にたいして組合役員が会社の立場を滔々とまくしたて、うんざりした組合員が「もういいです」と話を切り上げるのが常であった。いざ賃下げとなった暁には「あれだけ何回も意見を聞いたのに、あんたはその時黙ってたじゃないか」と言われてしまうので、全員が黙々と条件の切り下げを呑み込んでしまう。ある意味で実に「民主主義的」なやり方で労働条件切り下げを呑ませる手法に、筆者も舌を巻いた記憶がある。職場集会が終わればロッカールームで「あいつは会社側の人間だ」「どうせうちは御用組合ですから」「俺たちの高い組合費でうまいもんばっか食いやがって」とボロクソの批評が飛び交うが、表立ってこれを口にする人間はいない。
こうした職場で「労働組合」とは労務課の出先機関にすぎず、組合役員は労務担当係長相当としか思われていない。ユニオンショップの下では組合から除名されれば会社もクビになる。組合に逆らうことは会社の上司に逆らうのと同じことなのである。
賃金や労働時間は「自由意志」にもとづく契約事項なので業務命令の枠外にある。企業内労働組合は会社が命令できないことを労働者に呑ませる資本の別働隊、というのが現場の実感である。
「これ以上豊かになる必要はあるのか」
なぜ労働者は黙々と会社=御用組合の話にしたがうのか。端的に言って、世間標準を上回る、それなりの労働条件と生活水準が確保されているからである。
確かに95年「新時代の『日本的経営』」以降、新自由主義的経営が浸透し、低賃金の非正規雇用の増大と並行して正規雇用社員にも過重なノルマと長時間労働が課され、過労自殺が増加して社会問題となった。だが、遺族を中心とした裁判闘争で判例が積み重なり、資本の抵抗を押し切る形で労働時間の規制が加えられてきたことも事実である。現在、連合系の多くの職場で一日の所定労働時間は八時間を切っている。年間休日120日以上、パソコンのログと勤怠が連動しているのでサービス残業はほぼ不可能。残業代は一分単位で支払われるが、残業が多い=生産性が低いと人事査定で評価され、残業代を上回る給与格差がつけられてしまうため、稼ぐために残業するというモチベーションは働かない。繁忙期など業務の周期性による濃淡はあるが、「働き方改革」「コンプライアンス」が重視される現在、概して死ぬほど働かされるような現場は一部上場企業ではほとんど見られない。育児休業や時短勤務、FF休暇(ファミリーフレンドリー休暇。年休以外に家庭の都合で休める)も整備されてきたので、家事・育児に協力的な男性が少ない否定的な現実のなかでも勤務を継続する女性が増えている。
収入面で見ると、日本の世帯年収の中央値は437万円だが、上位400社までの平均年収は800万円以上。能力主義的な個別人事評価によって同期でもかなりの賃金格差があるとはいえ、連合組合員のかなりの部分が世帯収入1000万を超えるはずである。これだけ収入があっても子どもに教育投資すれば年間数百万かかるので「お金が足りない」という人もいるが、「これ以上豊かになる必要があるのか」という声も一方で聞こえてくる。彼らの実感であろう。
低賃金・長時間労働の無法地帯
しかし、グループ中枢企業がコンプライアンスを守り、快適な職場環境を維持する影で、無理な業務はほとんどが下請けや請負、派遣社員に丸投げされているのも事実だ。
実際、私がかつて勤めたグループ子会社では、規定通りやれば1日15件しかできない危険作業を、「1日20件あげないと採算がとれない」と会社から平然と言われていた。「いったいどうやって1日20件やるんですか?」と聞いても誰も答えない。仕方がなく会社のルールを無視して、現場は「現場ルール」を勝手につくって1日20件の仕事をあげていくわけだが、事故やクレームが生じれば「作業員が勝手にルールを破ったせいだ」と現場が切り捨てられる。文字通りの使い捨て職場である。建前と本音のあまりの乖離に文句をつけたところ、これにたいする管理職の回答がふるっていた。
「いいか掛川くん、道交法は現行犯でない限り違反が成立しない。私はスピード違反しました、と自己申告しても警察は捕まえてくれないんだよ。われわれは安全パトロールを実施しているが、現場で何の違反も確認していない以上、違反は存在しないんだ。わかるかい、世の中はそういうものなんだよ。一流企業なんて表から見たらスーツ姿でピシっとしてるようだが、後ろから見ればズボンが破れてお尻丸出し。どこだってそうだ。うちは一流企業の表の顔を守る典型的なブラック企業。人を育てることなんか考えてないし、そんな余裕もない。社員が10年以上勤められるなんて思ってない。稼ぐだけ稼いだら、こんな会社にしがみついてないでもっと自分に合った職場を見つけなさい」。
ハローワークで求職活動するとわかるが、新卒正規雇用のレールを外れると、現在の労働市場では時給1000円(資格なし)→年収200万か、時給1200円(資格あり)→年収250万の仕事しかない。フルタイムで働いても親の年金より少ない。ここから正社員になるとわずかなボーナスが上乗せされてやっと年収300万の壁を超えるが、よほど特異な技能がない限り、通常勤務で年収400万を得るのは難しい。家族を抱えてどうしてもお金が必要な人たちは長時間の残業で年収400万、500万を稼ぐ。私が見聞した事例では、月収40万という警備職場で給与の半分が残業代だった。
こういう世界で労働法が守られることは稀だ。私がかつて勤めた中堅企業では、有休を使うためには事前に理由を書いた書類提出が求められ、「私用」での有休が認められなかった。土曜が通常勤務で年間休日90日。定時は18時だが19時まで働いてやっと30分の残業代がつく。18時50分退社なら50分のサービス残業。休日出勤しても有休が「代休」に書き換えられて残業代なし。記録上の残業は20時間でも実残業時間は40時間をくだらなかった。年収350万。しょっちゅう労基署に内通されていたが、会社は気にする様子もない。子どもを抱えた若い労働者は「お金が欲しいから」と月100時間超(過労死レベル!)の残業をこなしていた。三六協定のために職場代表選挙の体裁はあったはずだが、投票した記憶はない。24時間ぶっ通しで働いても明け休みはなく、頭が朦朧となって交通事故を起こしそうになったこともある。会社に殺される、と本気で思った。 (つづく)