言論を武器で封じるのは許せない、許してはいけないけど。その後のアベ持ち上げは、なんだ! 在任中、どれだけ民主主義を壊したんだ! モリ・カケ・サクラで国民を欺き、国費を私物化し、憲法に風穴をあける「戦争法」を通し、罪なら山ほどある。
あんな終わり方ではなく、国会の場で真実の前に垂れ伏すべきだった。それを「国葬」! なんたることか! 弔意は内心の自由に係わることであり、国家が強制するものではないと言った党首もいたが、それはまったくそのとおり。それに、国費を使うなよ。人ひとり亡くなった決着も、まだついていないよ。アベノマスクも、まだ残っているよ〜。統一教会との係わりは、どうなの!?
ウクライナとロシアの戦争を見ていて、なんで「武力を持とう」と思うのだろう。武器の積み上げで戦争が泥沼化していくのを、目の前で見てるんじゃないの? 世界も、小手先の武器の応援ではなく、そのエネルギーをなんで「停戦への努力」に使わないの?
「9条を削って軍備を増やそう」と言う人よ! どこかの誰かが銃を担いでいくのではない。行くのは「あなた」。
「あなた」が戦争に出て死ぬ覚悟があるなら、そこから軍備の話をしようよ。為政者はタマにあたらないところにいるんだ。死ぬのは「あなた」。そして「あなた」は、死ぬ覚悟で何を守るのですか。愛国心という魂を担いで「あなた」は、本当に戦場に行くのですか。80年前のように。
「たたかう」とは、武器を持つことでしょうか。沖縄の人びとの「今のたたかい」を見ていると、そう思います。ひたすら「座り込み」何百日、何千日。これ以上、米軍基地に自らの土地を奪われないために。武力から「平和」は決して生まれない。「平和の芽」も死なせます。
空を守るのは鳥の役目、海を守るのは魚の役目。愛と平和を守るのは、人間の役目だと思います。(神戸市/玉川侑香)