
8月、夏の明石の恒例、今年で18回目となったピースフェスタ明石が「平和・いのち・子ども」をテーマに開かれた。
会場はJR明石駅前のアスピア明石(兵庫県明石市)。8月10日から12日間。第1部は「平和を考える」ウォールギャラリー展。原爆と人間、沖縄の今、福島原発の今、ウクライナ、子どもたちが描いた大作が展示された。第2部、戦争と平和「戦時下の暮らし」ギャラリー展は、戦時下の生活の品々に加え、DVD映像などが置かれた。
目を引いたのは、ウクライナの平和を願い市内の幼児から小学生までの子どもたちが描いた絵、「キッズ・ゲルニカ」(写真上)。縦2×横4メートルの大作が、会場入口正面に展示された。
若者たちの行動に共感
20日午後は、「カクワカ広島」共同代表の田中美穂さんが講演。田中さんは北九州市出身、94年生まれ。2017年に広島市で就職、ヒロシマを知ることになる。翌年夏から、核廃絶国際キャンペーン(ICAN)やサーロー節子さんの言葉に触発され、「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)を立ち上げた。講演では、与野党の国会議員に「日本は、核兵器禁止条約にどういう態度をとるのか」などを質問し報告をまとめる、ウィーン会議を傍聴し報告しディスカッションするなど、動き始める若者たちの元気さ、新しい発想や行動が感じられた。会場からも「共に活動していきたい」という発言もあった。
田中美穂さんの話
「祈るだけでなく具体的に行動してください」(サーロさん)。何人かの若者が動き始めた。学生だけだと、社会人になったときに戸惑う。いっしょにやった方がいい。
国会議員へのアプローチも、意見が違うと思われる自民党、与党の人にも積極的に働きかけた。与党でも(少ないが)核禁条約に前向きの人もいる。「核共有論」—こういうときこそ共有ではなく廃絶を。ネットで広島とhiroshimaを検索して見てください。ずいぶん違う。被害のことだけでなく、8・15の認識も国によって違う。ウィーン(会議)にも行き、世界の若者と交流し、日本にもオブザーバー参加を詰めよった。ヒバクシャは世界中にいる。
「身体中に電流が」
最終日21日は、戦争体験談の集い。3人から話を聞いた。市川幸美さん(84)は、戦争のとき国民学校(小学校)1、2年生。「ただ、ただ怖かった。戦争が終わって憲法9条を知って本当に嬉しかった」と。
入江一惠さん(92)、15歳の女学校3年のとき、高松の飛行機工場で沖縄に飛ぶ特攻機を作る板金工。少年特攻兵が弾丸の代わり、人の命はそんなに軽いのかと気づいた不条理。「戦後、自由・平和・個性などの言葉を聞き、身体中に電流が流れた」と話した。(江戸信夫)