この本を知ったきっかけは、今年4月に大阪で行われた『食と農業の今』学習会。藤原辰史さんの講演前のあいさつで三里塚空港反対同盟の萩原富夫さんが、「面白かった本」として紹介されたことでした。
日本の農民が抱える深刻なトラクターのローン返済問題や、ロシア革命における「労農同盟」の重要テーマであった「農村におけるトラクターの普及」などが頭にあって、読んでみました。
 
世界史的発明
 
現代社会に大きな影響を与えた発明の一つとして内燃機関(エンジン)と自動車を上げることに異議をとなえる人はほとんどいないでしょう。しかし、トラクターが人類に与えた影響の大きさを正面から論じることは、あまりなかったのではないかと思います。本書「まえがき」では次のように指摘されています。
「種を蒔く前に土を掘り返す。耕すことで収穫物の量と質が改善させることを、農業を営む人びとは経験的に知っていた。土を耕す行為は、土壌の下部にある栄養を上部にもたらし、土壌内に空隙をつくり、保水能力と栄養貯蓄能力を高め、さまざまな生物のはたらきと食物連鎖を活性化させる。土壌の活性化は、そこに根を張る植物の食用部位を、野生植物では不可能なほど栄養価を高め容量を増やすことにつながる。この事実は、土壌学の発展とともに科学的に裏付けられることになるが、それより遥か昔から、耕すことはずっと農業の中心に据えられてきたのだった。(中略)この変革の担い手こそ、トラクターである。とりわけ重要なのは、牽引力のエネルギー源が、家畜の喰む飼料から、石油に変わったことである。トラクターの登場以降、農業はもはや石油なしに営むことができない。石油がなければ、わたしたちは食べものを満足に食べることができなくなったのである」。
そして著者は1892年にアメリカで誕生したトラクターの発展と、世界的普及の歴史をていねいになぞり、その「功と罪」を指摘しながら最後に問題を提起します。
「(トラクターの普及は)工業によって農業そのものを囲い込む第3次エンクロージャーではないだろうか」。
 
ソ連 MTSの破産
 
特に私が強い衝撃を受けたのが、レーニン時代からのソ連におけるトラクターの導入と拡大についての部分でした。筆者は、ドイツのカール・カウツキーの農業理論をおさえた上で、レーニンがカウツキーから強く影響をうけたこと、そこからレーニンがトラクターに魅了されていった経緯を解説しています。
また、1923年以降のソ連におけるトラクター導入の過程も複雑で、各種のロシア革命研究文献との突き合わせの必要を感じました。スターリンによる農業集団化のなかで、28年に「機械トラクターステーション(MTS)」が発足、これがコルホーズの組織化を牽引するはずでしたが、部品やメンテナンスの体制がおいつかずクリミアの入植地では投入されたトラクターの4分の3が故障していたそうです。
29年のソ連内公式文書では、それまでの2年間にトラクターの稼働率が急激に落ち、コルホーズ全体の3分の2の耕作が馬または牛によって担われたと報告されています。最終的にはスターリンによってつくられたMTSはフルシチョフによって解散となりました。
コルホーズの破産についてはレーニン死後のことであり、どこまでを彼の責任とするべきは議論のあるところですが、今日的に振り返るとレーニンが19年3月の第8回党大会で行った演説はあまりに楽観にすぎたと言わざるを得ないと思います。
「もし明日われわれが10万台の第一級のトラクターを供給し、トラクターに燃料と運転手を与えることができるならば、これは現段階ではまぎれもない空想であることはご承知の通りだが、中規模農家はこういうだろう。『わたしは共産主義に賛成する』と」。
 
軍需産業
 
最後に軍需産業としてのトラクターという重要な指摘を紹介。本書ではおもにキャタピラー付きトラクターが兵器である戦車の基礎というか、ほとんど戦車製造そのものである歴史を明記しています。加えて世界各国でトラクター工場が戦車工場に変わるだけでなく、トラクターに魅了されてその運転と整備にあたった若い農村青年たちが「戦車が扱える兵士」として戦場にかりだされていった苦い歴史も直視しています。
トラクターは、まぎれもなく20世紀における歴史、経済、政治、軍事、文化における重要な要素でありながら、これまであまり関心を持たなかった自分を反省しつつ、今後も藤原先生の著作を追ってみたいと思いました。一読をお薦めします。
       (小柳)