福田村事件の犠牲者を追悼する慰霊碑(千葉県野田市)

現在は東京都知事の小池百合子が希望の党をつくったとき、入党条件の6番目に「外国人に地方参政権付与反対」という項目があった。在日外国人のほとんどは韓国・朝鮮人であり、その60万人に選挙権を認めないという差別的項目である。差別者・小池百合子らしい政策だ。彼女は、毎年行われる関東大震災を追悼する式典にも追悼文を送っていない。
 
1923年関東大震災
 
今から99年前の9月1日、午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7・9の巨大地震が関東地方を襲った。この地震によって家屋の倒壊や火災が発生し、約10万5千人が犠牲になった。
8月24日に加藤友三郎首相が死去しており、政府は後任の山本権兵衛が内閣を組閣中だった。この大災害で通信手段は寸断され交通機関もマヒ状態になり、新聞の発行も困難になった。つまり関東中の人びとは、あらゆる情報から断ち切られてしまった。余震と火災が続き、救援の手が差し伸べられない不安な人びとの心に、しのび込むように流言蜚語が発生する。
 
自警団による虐殺
 
地震が起こった日の午後7時頃、横浜本牧町で「朝鮮人放火す」という声が流れ、9月2日には関東一帯、3日には福島まで朝鮮人暴動、放火のデマが口から口へ広がっていったという。地震発生直後から各市町村では消防団、在郷軍人会、青年団が被災者保護の活動を行っていたが、それが「朝鮮人暴動」に対処する自警団へと組織されていったのだ(自警団は、東京を含む関東全域で3100以上組織された)。
日本刀や猟銃で武装した自警団は、検問所を設け次々と人びとを尋問し、朝鮮人らしきと疑うと、国歌を歌わせたり、「いろは」を言わせたりした。そして朝鮮人を虐殺していったのだ。その数は6千人と言われている。
日本人の中にも朝鮮人と間違われ、危うく難に逢う人もいた。俳優の千田是也(芸名/千駄ヶ谷のコリアの意)は有名だ。彼は、たまたま通りがかった友人に日本人であると言ってもらって助かった。しかし、福島の白河で電報配達人が、埼玉の妻沼では秋田出身の足尾銅山の労働者が自警団によって惨殺された。
 
被差別部落出身者が犠牲に
 
さて、地震による混乱と自警団による朝鮮人狩りが進行していた9月6日、午前10時頃、香川県の非差別部落出身の売薬行商団15人が、千葉県の福田村三堀という利根川の渡しに差しかかった。そこを警戒していた自警団が朝鮮人と疑い(讃岐弁を日本語と思わなかった)、警鐘を乱打して隣村からも数百人が駆けつけ、自警団が薬売り商人たちを取り囲んだ。「日本人だ!」という弁明を無視し殴る蹴る、縄で縛り上げ「利根川に放り込め」と8人を溺死させ、岸に泳ぎついた人までなぶり殺しにしてしまった。9人の犠牲者のうち一人は妊婦であったという。
生き残った人が香川県に帰って村の人が真相を知ったのであるが、「2歳、4歳、6歳、そしてお産前の人まで殺害するような鬼のような人たちだから、行けばまた殺される」と、福田村に抗議に行かなかったそうだ。生還した太田文義さんの証言によれば、野田の旅館の主人は「地震の余震もあるし、朝鮮人の混乱で過ちが起きやすい、もう少しおりなさい」と忠告してくれたが、行商人の支配人の判断で出発してしまい被害に遭った。
この事件は日本人の朝鮮人差別が直接の原因であるが、背景に被差別部落差別も潜んでいる。売薬商人を襲った自警団には、商人たちが部落民という認識はなかったであろう。しかし、売薬行商をせざるを得なかった部落民ゆえの職業差別が存在していた。
映画化が進められている。監督は森達也さん。23年公開予定。
   (こじま みちお)