安倍元首相の銃撃事件以降、統一教会と自民党の癒着に関心が高まっている。政治の圧力が生んだ「空白の30年」で統一教会による被害は野放しになった。政治家と統一教会の接近が、不法行為にお墨付きを与え、被害を拡大した。その結果起きたのが銃撃事件だった。その経緯を有田芳生さん(ジャーナリスト)が講演で詳しく語った。(8月19日、大阪市内)

 
岸信介が名誉役員
 
 1954年に韓国で文鮮明を教祖とする世界基督教統一神霊協会が生まれた。59年には日本で統一教会を設立し、64年に東京都が日本統一教会を認証。宗教団体として活動するようになった。
 68年、文鮮明は日本と韓国で国際勝共連合を設立。当時韓国の朴正熙独裁政権のスローガン「勝共統一」を利用した。岸信介元総理が名誉役員、名誉会長に笹川良一、日本統一教会初代会長の久保木修己が日本の国際勝共連合会長になった。
 66年、世界反共連盟(WACL)を設立。73年頃に文鮮明が渡米し、ウォーターゲート事件で窮地に立っていたニクソン大統領を支援。米国の信者たちがホワイトハウス周辺でニクソン支持の集会を開き、共和党と接近する。これがトランプ政権にもつながっていった。こうした動きは、日本ではほとんど報道されなかった。
 73年には岸信介が日本の統一教会本部で講演し、同年韓国の統一教会で文鮮明と会談した。
 86年、統一教会は自民党との接触を再び強める。当初は女性信者の中から秘書を養成し、自民党を中心とした国会議員の公設・私設秘書として送り込んだ。
 
議員秘書として浸透
 
 週刊文春が91年に半年かけて調査したところ、公設秘書に3人、私設秘書には5人の男性信者が見つかった。石原慎太郎に取材すると「何言ってんだよ。50人以上はいるよ」と言っていた。女性信者については不明だ。
 90年3月、勝共連合の思想新聞に105人の勝共推進議員名簿が載った。安倍晋太郎、麻生太郎、渡辺美智雄、船田元、中曽根康弘など。当時の国際勝共連合のチラシでは、これが150人まで増えたとしている。こうした流れが80年代半ばから続いていると判断すべきだろう。共同通信が実施したアンケートでは国会議員106人の名前が上がった。日本維新の会も14人が関係していた。こうした議員の公設秘書、私設秘書として統一教会が入りこんでいる。
 
地下鉄サリン事件
 
 87年朝日新聞阪神支局が赤報隊を名乗る男に散弾銃で襲われ、小尻知博記者(当時29歳)が命を奪われた事件で、新右翼や統一教会関連組織も捜査対象になった。統一教会には、政治団体としての国際勝共連合以外にも非公然の軍事部隊があるとみて警視庁は捜査を続けていた。
 95年に地下鉄サリン事件が起きたとき、警察のターゲットは「オウムの次は統一教会」だった。ところが、統一教会はターゲットから外された。政治の圧力だ。
 オウム真理教事件以降の30年間、統一教会に関する報道はほとんどない。ノーマークの中で、被害が広がっていった。今ほど統一教会について、また、統一教会と政治の関係について関心が高まっているときはない。空白の30年が再び訪れないようにしなければならない。 (堀ちえこ)