同じ労働者とは思えない、天国と地獄が併存する階層間格差。一方が他方の存在要件となり、相互補完的な関係にあるため、どこかの断面や一局面だけをとりあげてもその解決は難しい。本来トータルな労働政策を労働組合の側から提起すべきだが、連合は企業別組合が主流で正社員の権利擁護しか眼中になく、低賃金・長時間労働という未組織労働者の苦境を積極的に固定化している。連合が未組織労働者のために動くことはまず期待できない。
 
「正社員クラブ」
 
 以前勤めた会社で、予定されていた私の正社員登用がコロナ禍で取消となったため、救済措置を求めて職場労働組合に援助をお願いしたことがある。私鉄総連傘下の組合書記長は私の申し出を言下に断った。
 書記長「掛川さんはうちの組合員じゃないし組合費も払っていないので、組合としては動けません。個人と会社の雇用関係なので、嫌なら辞めればいい」
 掛川「『動けない』というのはどうでしょう。非正規雇用の同僚が切り捨てられるんだから、広い意味で職場環境の問題として組合が動くのは別にかまわないんじゃないんですか?」
 書記長「職場環境を言うなら、組合が要求してがんばってきたからこんなに職場がきれいになったんです。組合費を払っていない掛川さんは組合の成果にタダ乗りしているんですよ」
 掛川「…(絶句)。会社も組合も話を聞いてくれないんだったら、合同労組に加盟して団体交渉を申し入れるしかないですね」
 書記長「それだけは絶対やめてください。うちはユニオンショップだから他の組合に加盟したらクビですよ」
 掛川「私は正社員じゃないからそもそもおたくの組合に入ってません。労働者が労働組合に入ることは法律で認められた権利じゃないんですか?」
 書記長「合同労組に交渉を委託すれば何百万円も負担させられるって知ってますか」
 掛川「それ弁護士費用でしょ? 合同労組の相場は組合費プラス解決金の五%ですよ。デマ言っちゃいけません」
 書記長「経営危機を乗り切るため職場一丸でがんばっている時に掛川さんが外部勢力を引き込めば、あなたの居場所はここにはありませんからね」
 この会社を辞める時、同じフロアにいた組合書記長には挨拶もしなかった。
 かといって、連合は資本の手先だから不要だとも言えない。ある組合員に言わせれば「組合がなければ自分の給料は今の八割だったかもしれないと思うと、ないよりあった方がいい」。
 互助組織としての利便性も捨てがたいものがある。団体割引で各種保険も安くなるし、年金の上乗せもできる。住宅ローンはメインバンクを通じて優遇金利が適用される。「労働組合」を名乗るから腹も立つが、正社員限定互助組織と割り切れば、連合の役割は特に否定するほどのものではない。
 敗戦直後のような貧乏横一線という状況でない限り、連合内部からの民主的改革はあまり期待できない。連合労働者が労働貴族に反抗し、会社との決裂を覚悟して立ち上がるのは組合員の生活水準が平均以下に落ちる時だが、そういう事態は原理的にありえない。そもそも勤労人口の上位一割しか連合は相手にしていないからである。
 
階級闘争史観
     からの転換
 
 ここまできて、階級闘争史観の放棄が迫られているという気がする。
 先にも触れたように、正社員の長時間労働を規制した最大の契機は遺族による裁判闘争で、労働組合はむしろ妨害要因だった。孤立した少数派の争議を長期に支えたのが職場の仲間ではなくて地域コミュニティだった例もある。階級闘争が世の中を動かすという理解より、市場経済の破壊性にたいする社会の自己防衛反応が歴史の動因になっている、というカール・ポラニーの説明の方がしっくりくる。
 実際、連合労働者が格差問題に関わるとすれば、自らの職場条件の改善という契機よりも、社会の存続にたいする危機感からであろう。私は世帯年収一千万を超える電機連合組合員から「日本では会社ごとに賃金を決めるので賃金格差が大きいことが問題だ」という見解を聞いて仰天したことがある。要するに、日本に産別労組がないことが問題だというわけだ。なぜそう思ったのか尋ねると、保育所民営化や公立病院廃止など地域の問題に関わったからだという。公務員の保育士や看護士が低賃金の民間職場に移るのを嫌がり、事務職に配置転換してでも「自治体職員」の身分にしがみつくのを見て、何かが根本的におかしいとママ友で話し合った結論が上記コメントだった。
 日本で終身雇用制度が大きく解体しつつあるなか、どういう水路をたどるのかはわからないが、産別労働組合運動が歴史的に要請されていることは間違いない。連帯ユニオン関西生コン支部にたいする激しい弾圧は、逆に産別労働運動のリアリティを示しているとも思える。産別労組は直接の当事者たる非正規雇用労働者、未組織労働者の主体的な登場が最大の契機となるが、連合労働者の場合、階級的連帯というより地域社会の存続と防衛を契機にこの運動に合流しうるのではないか。従来と異なる発想と切り口で、運動が起きる条件はあると思う。
連合にたいしては、その社会的責任をたえず問い続けることで、少なくとも未組織の労働者や社会にたいして悪辣な立ち振舞はしないよう規制することが必要だろう。本音は会社組織でも建前は労働組合。あまりにも建前と違うことを批判されれば破廉恥なことはできないはずだ。左翼はこれまで連合労働者に呼びかけたことがない。本当に呼びかけたらどんな答が返ってくるのか、誰にもわからない。  (おわり)