
選択的夫婦別姓について、政府・自民党、右翼や保守的な人たちは血相を変えて反対する。夫婦同姓は「日本の伝統」であり「別姓では家族の絆が崩壊する」「嫁が介護をしなくなる」という。
しかし日本の夫婦同姓の歴史はたかだか120年ほどで、実はたいへん新しい制度なのだ。古来日本では儒教の影響で、中国や韓国と同じく夫婦別姓であった。大河ドラマに登場している北条政子の姓は「北条」であって「源」ではない。室町幕府で夫の8代将軍・足利義政以上の権勢をふるった日野富子もその姓は「日野」であって「足利」ではない。
明治維新後、一般の人も姓を名乗るようになったが、明治政府は「結婚しても姓を変えるな」という趣旨の通達を出した(1876年太政官指令)。ところが、1898年の旧民法の制定にあたって、欧米キリスト教国の風習に合わせて夫婦同姓を採用した。
世界に目を向ければ、夫婦別姓が慣習となっている国でも、同姓を選択できるし、一方、同姓が一般的な国でも別姓を選択できる。先進国の中で、法制上同姓しか認められない国は日本だけだ。
日本の夫婦同姓制度は、男性と女性のどちらの姓を選択するかは自由であるが、女性の方が男性の姓を名乗るケースが97%を占める。その場合、戸籍の筆頭者はあくまで男性であり、女性にとっては「夫と平等ではない」「夫の家に嫁ぐ」といった不平等感を拭い去ることはできない。日本政府が夫婦同姓に固執するのは、男系の血統を重視する戸籍制度、すなわち国家のための「家」制度を護持するためである。かつて「家」制度は、徴兵制に利用され、天皇制国家とその下での侵略戦争を支えてきた。これを打破するためにつくられたのが憲法24条(家族における個人の尊厳と両性の本質的平等)である。今日の日本政府のあり方はこれに全く反している。
私事で恐縮であるが、私の曾祖父の法事のとき、この男性中心の「家」制度に耐え難い屈辱を感じた記憶がある。僧侶が仏壇の前で読経しているとき、男たちが広い座敷の前方を独占し、女たちは遠慮がちに次の間に座らされた。その後、料亭から豪華な会席料理が取り寄せられたが、これを食べることができたのは親戚の男たちだけだった。私たち女は、まずは掃除に始まって、酒や料理を運ぶなどさんざんコキ使われた後、狭い台所の片隅に押し込まれ「ほか弁」を食べさせられた。「幕の内弁当」だったが、せいぜい500円。座敷の方をのぞくとほろ酔い加減の男たちが談笑していた。
この者たちは、先祖から現在にいたるまで、男たちだけで血脈をつなぎ、生業と所帯を成り立たせてきたと思っているのだろうか。女たちが報われることのない無償の労働に、どれだけ血と涙を流してきたのかを考えたことがあるのだろうか。
内閣府が2017年におこなった選択的夫婦別姓にかんする世論調査では、「賛成」が42・5%と過去最多となった。ところが今年3月の調査では「賛成」が28・9%と急落した。17年の調査結果を見て「これはヤバイ」と、政府が「調査内容」を一変させたためだ。意図的な「誘導」の結果である。
選択的夫婦別姓が認められたからといって、それだけで男女平等社会になるわけではない。しかし夫婦別姓すら認めない社会に男女平等はありえない。 (当間弓子)