性搾取される少女たち

前回につづいて、仁藤夢乃さんの講演から。仁藤さんが代表をつとめる一般社団法人Colaboは2016年から、児童買春の実態を伝える〝私たちは「買われた」展〟を行なってきた。それは、Colaboとつながっていた少女が「慰安婦」被害者の写真展をみたことをきっかけに始まった。彼女は、サバイバーと自分自身を重ね合わせていた。
「金欲しさ」や「遊び」でやっていると言われている少女たちが、実際には性搾取や性被害を受けていることを、もっと知ってもらいたいと企画された。企画展は今も各地を巡回している。
行き場のない少女たちに、相談に乗るフリをして声をかけてくるのは性売買のあっせん業者か買春者だけだ。その実態が見えないために、「売る方が悪い」と女性だけが責められる。そして被害者である女性たちは「抵抗できなかった自分が悪い」と思いこまされる。
加害者はそこにつけこむ。それは加害者だけの問題でない。「加害しやすい状況を放置している社会の問題なのだ」と仁藤さんは訴える。
例えば「援助交際」という言葉。韓国の活動家はそれを「児童性搾取」とはっきり言ったそうだ。実際、「援助」でも「交際」でもなく、支配と暴力の関係しかそこにはない。それでも「女の子たちが好きでやっている」「そんなふしだらなことを」と言われる現実がある。

「売った方が悪い」

売春防止法は、「女性が社会の風俗を乱す行為をしたら取り締まる」という内容になっている。実際に街では男たちの方から声をかけることが多いのに、罰せられるのは女性の方だ。いつも女性から「持ちかけた」とされ、男性は受動的に扱われる。
また、金銭を介することで暴力が正当化される。「お金あげるから」と言って人を殴れば、殴った方が悪いのは誰が見てもわかること。しかしこれが性売買になると、買春者が被害者づらして、「売った方が悪い」と訴えることが罷り通っている。
最近の「パパ活」議員もその1人。買春する男たちのほうが守られてきた社会なのである。日本社会はまるで国家ぐるみの性売買斡旋業者なのかとさえ感じる。
企画展でこうした社会状況を浮き彫りにした仁藤さんたちは、さらに凄まじい誹謗中傷にさらされるようにもなった。それは、「慰安婦」被害者の告発に対して、「嘘だ」と否定することと重なる。
一方、企画展には最初の10日間で3000人が来場したが、そのうち300人が「私も同じだ」と胸の内を明かしてくれた。以前から「自己責任」に苦しんできた多くの女性たちと繋がる機会になったのである。

苦しみを可視化する

Colaboの活動を通して、性搾取に苦しむ少女たちの存在が可視化され、国や都などでも支援の取り組みが始まった。しかし、そこからこぼれ落ちる少女たちは多い。これまで公的機関は彼女たちを「非行少女」として補導し、厳しい対応で「保護」し「更生」させようとしてきた。そのため、子どもたち方が公的機関の「保護」を避けてきた。
孤立し困窮し苦しむ若い女性たちはまだまだ多いし、支援は不足している。さらにコロナ禍で女性の貧困が深刻化し、自殺者が増えた。女性に犠牲が集中する社会構造の中で、苦況に立つ女性に性売買が間口を広げて待っている。仁藤さんは、こうした構造をなんとかして変えていきたいと語った。

私はこれまで「慰安婦」問題を戦争責任、植民地支配に重きを置いてとらえてきた。しかし、ここ数年の取り組みや今回の講演を聞いて根本的な部分を軽視していたのかもしれないと思うようになった。女性差別こそ土台にあるということである。それが戦時下でより激しく、特に弱いと見なされた少女たちに降りかかった暴力が「慰安婦」問題なのだ。8月14日の集会でそのことにあらためて気づかされた。
      (おわり)