菊池医療刑務支所内に設けられた臨時法廷=撮影年不詳/恵風園歴史資料館HPより転載

Fさんは、「単純逃走罪と殺人罪」で起訴されます。裁判は、菊池恵楓園内に設けられた特別法廷で行なわれ、裁判官も検察官も弁護人さえもマスク・手袋、予防着を纏い、証拠物も菜箸で取り扱いました。国選弁護人の積極的な弁護活動もされないまま、1953年8月29日に死刑判決が下されました。
その後54年12月13日、控訴棄却。12月27日に最高裁に上告しましたが、57年9月25日に死刑が確定します。Fさんの救援活動は、控訴審あたりから活発化していきます。再審請求も三度されましたが本人が亡くなり、ハンセン病差別を恐れ再審を引き継ぐ親族もいませんでした。そして菊池事件は忘れられていきました。
ハンセン病患者を対象とした「特別法廷」は、Fさんの事件を含め95件ありました。裁判の公開は、憲法にも明記されていますが、「特別法廷」は実質非公開の裁判であり、被告人の人権を奪うものです。「特別法廷」がハンセン病当事者や家族に対する差別を助長したと、2016年(4月25日)になり、最高裁判所が謝罪しました。
この最高裁の謝罪を受け最高検察庁に対し、ハンセン病国賠訴訟弁護団などが菊池事件の再審を求めましたが、17年3月、「菊池事件の再審は行わない」と発表しました。

再審請求の運動

17年8月29日、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)、そして菊池恵楓園内自治会の3団体(原告6名)が、「検察官が菊池事件について再審請求しないのは違法である」と、国賠法に基づく慰謝料請求を求める「菊池事件国賠訴訟」を起こしました。
20年2月26日、熊本地方裁判所で判決が言い渡され、慰謝料請求は却下されたものの菊池事件の「特別法廷は違憲である」と認めました。
日本の再審制度では、再審請求ができるのは、当事者か当事者の親族、そして検察官とされています。菊池事件の場合は、Fさんの親族が再審を求めるのが困難な状況です。弁護団は「検察官にも再審をするよう」働きかけていますが、検察官は首を縦に振りません。
そこで菊池事件弁護団は、「国民的再審請求権」に基づき、再審を実現させる運動を始めました。現在、再審請求人は1200人ほど。再審を求める署名は4万4千筆になりますが、再審の重い扉を開けるためには、もっと広く知ってもらわなければなりません。
ハンセン病国立療養所は、北海道を除く全国に13カ所あります。療養所で生活している人は、1000人を切りました。在園者の平均年齢は89歳ほど。
現在、厚労省と国立療養所の将来構想について全療原告協、弁護団、支援者らでつくる「将来構想を進める会」の間で話し合いが続いています。話し合いの進捗状況を十分に把握できていませんが、「最後の1人」になるまで、国は十分なケアを尽くすべきです。(おわり)