
今年10月14日は、日本の鉄道開設150年でした。鉄道にまつわる、琉球国の話です。最後まで読むのが難しい人のため、結論を先に述べます。
高江・辺野古のたたかいのなか、座り込む人の間では、歴史認識が進みました。琉球王国は、琉球国と言うようになりました。よく「廃藩のあと」と使っていましたが、琉球国が「廃藩置県」で沖縄県になったのではなく、武力で「併合」されたのです。特に「廃藩」をめぐる話です。忙しい人は、ここまで読んでもらえば、大丈夫です。
「汽笛一声」
150年前、1872年(明治5年)、旧暦の9月12日。明治5年12月3日までは、日本は旧暦を使っていましたから、ここでも旧暦を使います。9月12日は、新暦の太陽歴では10月14日です。
この日、日本で初めて鉄道が敷かれ、一番列車が走ることになりました。なんと、琉球から来ていた伊江王子らも鉄道開業の最初の乗客となりました。「汽笛一声」で新橋を離れるとき、1、2号車は近衛兵、3号車に天皇、4号車の皇室関係、7号車に伊江王子が島津氏らと一緒に乗ったのです。本来なら格上の島津氏と一緒とは、「御一新だな」と感じたはずです。
伊江王子一行は明治政府からの強い要請があり、明治維新を祝う慶賀使として旧暦8月に東京に来ていました。初めて汽車に乗り、日本の文明開化に圧倒されたのではないのでしょうか。それが政府の狙いだったのでしょう。
華族に列せられる
旧暦9月14日に皇居に来るように言われたので、伊江王子らは祝賀を述べようと行きましたが、突然、琉球の尚泰王を「藩王にし、華族に列する」との詔を受けました。藩王とは藩主に近い印象です。明治政府は「廃藩置県」を前年の明治4年に断行しました。琉球国も沖縄県としたいという意図が透けて見えるのですが、いきなりの事でしたので深く考える余裕はなかったのでしょう。伊江王子は、感謝すると言って受け取りました。琉球国の体制を認められたと思ったようです。
感謝され、明治政府は「おもてなし」をしました。「裏ばかりのおもてなし」です。9月18日は吹上御殿、滝見離宮にて琉球の使者を歓待する歌会を行いました。和学者でもある随行者の宜野湾朝保は、「動きなき御世を心の岩がねにかけてたえせぬ滝つ白波」と詠みました。
「動きなき御世」とは、明治天皇の世という意味です。「よいしょ」しました。22日には新紙幣3万円ももらいました。問題のあるお金です。今なら12億円ほどの大金です。(富樫 守)