資本主義を超えるアメリカ

スペインや中南米の「地域経済」と同質の運動が、アメリカですでにGDPの10%を超える規模で進んでいる。自然発生的に進行するアメリカの新しい事象を対象化して、地域活動家が意識的にこれを推進できるよう理論化を試みているのがガー・アルペロビッツである。前回につづいて、彼の主著である『資本主義を超えるアメリカ』『何をなすべきか』の要約を紹介し、最後に私見を述べたい。

クリーブランド
      ・モデル

こうして今や非営利の自治体開発企業が全米に4500社、労働者所有企業が1万1000社、生協、農協、信用組合、何らかの協同組合に組織されるアメリカ人は1億3000万を超える。全国で非営利ないし自治体運営の不動産トラストが低所得者向け住宅を運用し、「第四セクター」と呼ばれる「社会的企業」が増加している。
さまざまな経済的民主化のノウハウを総合したケースとして「クリーブランド・モデル」が注目を集めている。ここでは、30億ドルの購買力を持つクリーブランド・クリニック、大学病院、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(全米トップクラスの理工系私立大学)といった施設を中核に、いくつもの労働者所有企業が複合体をなしている。エバーグリーン洗濯生協は、病院、介護施設、ホテルに清潔なリネンを提供する。最新設備を備え、ライバルの民間企業に比べて3分の1しか水を使わず、平均以上の賃金、医療保険を提供したうえで、なお商業的に充分な競争力がある。オハイオ太陽光生協は大学・病院・民家の屋根に太陽光パネルを設置して2メガワットの電力を供給する。病院と大学の購買資金をうまく回転させることで、水耕栽培企業など他にも2ないし4つのベンチャー企業を毎年掘り起こす取り組みが行われている。
「クリーブランド・モデル」は崩壊しかかったコミュニティを守ろうとする地域活動家の心を動かし、ワシントン、アトランタ、ピッツバーグなど、全国で同様の取組みが現在進行中である。

地域コミュニティ

ここで重要な基軸概念は「地域コミュニティ」である。こういう地域の民主化運動、「スモールd」の実践を積み重ねることで、全国規模の政治の民主化=「ラージD」の展望も見えてくるだろう。クリーブランド・モデルのような形態の発展は、アントニオ・グラムシが支配的ヘゲモニーをめぐる闘争と呼んだたたかいに貢献し、アメリカ的な泥くさいやり方でまさにこれを実践しているのだ。
「所有権の民主化」運動は、巨大な米国経済のまだ一部の傾向にすぎないかもしれないが、小さいとも言えない規模にまですでに発展した。今後経済危機と財政破綻が進めば進むほど勢いを増すことは確実である。それ以外に現在の危機を解決する方法がないからだ。(要約終わり)

キャンパス内に設置された著名な奴隷制廃止論者フレデリック・ダグラスの演説を記念するバナー=ケース・ウエスタン・リザーブ大学のFBより

社会変革のイメージ

以上、アルペロヴィッツの主張のほんの一部を要約したが、サンダースやオカシオ・コルテスといった「社会主義者」が米国で台頭する背景が垣間見えると思う。試しに「ESOP」と検索すれば「引退を考える企業オーナーのみなさん!次世代に事業を引き継ぐなら従業員に任せるのが最善です/会社の買い取り・運営を考える労組のみなさんをサポートします」と謳った米国のホームページが次々に出てくる。アルペロヴィッツが描く世界はすでに一つの実体をなしている。彼の著作は、19世紀末にドイツ社会民主党でベルンシュタインが提起して以来今日まで続く「革命か改良か」という論争に、一つの解答を与えているように私には思える。
著作では簡潔にしか触れていないが、こうした運動の背景には、内戦下のベイルートにたとえられる地域コミュニティの崩壊状況がある。
ウォルマートが地域にもたらすのは時給700円の賃金だけで、収益はすべて州外にもちだされる。安い農産物を遠くから運んでくるので近所の農家は廃れていく。工場がつぶれた町には仕事がなく、3分の1が空き家となって取り壊しの手間を省くために放火される。給与が払えない消防も警察も人手が足りず、火災は見て見ぬふり。町のあちこちに焼け落ちた廃墟が点在し、まるで空爆されたかのようだ。空き家にはギャングが出入りして薬物売買と縄張り抗争を繰り広げ、高校の同窓生は3人に1人が自殺・他殺で死ぬか刑務所に収監されている。公立学校は窓ガラスが割れても修繕する金がなく、貧乏人、ヒスパニック系、黒人の子どもたちだけが通っている。金持ちは要塞化された地域に移転してしまった(『綻びゆくアメリカ』)―これほどの危機をどうやって生き延びるのかという地域住民・労働者の徒手空拳の苦闘こそ、アルペロヴィッツ運動論の実体である〔米国の最低賃金は現在連邦規定が7・25ドル、ニューヨーク州など一部の州で15ドル〕。
アルペロヴィッツはいくつかの論点には不十分にしか論及していない。
生協運動は日本でも盛んに行われてきたし、構造改革派という独立した党派もあったぐらいである。その延長上に大変革が待っているという感覚は持てないが、「所有権の民主化」運動は従来の構造改革運動とどう違うのか、アルペロヴィッツは「根本的に違う」と言うだけでその中身を整理してはいない。
旧来の労組や労働運動についても、アルペロヴィッツは「その価値が減じるわけではまったくない。ただ、その活動の方向を調整する必要があるだけだ」と書いているが、旧来の運動体との具体的な整合は論じていない。
また「革命と改良の中間ぐらい」という社会変革のイメージも、軍産複合体を抱えるアメリカで究極的にどのような筋道をたどるのか、つきつめてはいない。
いくつかの課題を差し引いても、現代日本の数々の難問を考えるうえで重要な思想的フレームワークをアルペロヴィッツが提供していることは間違いない。おそらく野党共闘の基盤にも関係するだろう。翻訳出版と活動家の議論が望まれるゆえんである。(おわり)
【参考文献】
Gar Alperovitz, AMERICA beyond CAPITALISM, 2005, 2011, John Wiley & Sons. WHAT THEN MUST WE DO? -STRAIGHT TALK ABOUT THE NEXT AMERICAN REVOLUTION, 2013, Chelsea Green Publishing.
(『フラタニティ』№19、2020年8月号初出)