
名護市内に、地元の無農薬野菜などの生産品や惣菜を扱う店「カナサ」(「愛さ」、沖縄の言葉で「愛する・いつくしむ」の意)という小さいお店がある。オーナーは、篠原孝子さん。以前は、辺野古テント村に常駐し、来訪者へのていねいな案内をしていた方だ。今回の旅の3日目、午前中は名護市安和の琉球セメント桟橋での土砂搬出をとめる行動に参加し(本紙344号に掲載)、お昼過ぎにカナサを訪ねた。店内で篠原さん手作りのおにぎりと惣菜で昼食、コーヒーをいただきながら、辺野古との出会い、名護で生きる思いなどをお聞きした。
目の前の基地はどこへ
本土の人たちの多くが「基地問題は沖縄の問題」と思っているけれど、本土での「米軍基地反対」運動の結果、その多くが沖縄に移ったということを知らない。私の実家は岐阜県の航空自衛隊各務原基地の近くにある。かつては米軍海兵隊の基地だった。そのことを私は辺野古のテント村に座り込みするようになって初めて知った。父も、「米軍基地反対運動」を記憶していたが、海兵隊はアメリカに帰ったと思っていた。
自衛隊の戦闘機は毎日飛んでいて、その騒音で(防音工事されていても)テレビも電話も聞こえないという日常を子どもの頃から送っていたので、沖縄に来ても「基地はそんなもの」と思っていた。それが戦争につながるという頭は一切なかった。

「知らない」ことの
罪に気がついて
自分の体調から暖かい沖縄に住みたい、自然があって仕事も見つけられる「適度」な町がいい、そんな単純な気落ちで名護に2001年8月に移住することにした。その翌年1月、市長選があった。政治には無関心だったから誰に入れていいかわからなかった。ただ、新人候補側は一生懸命がんばっている感じで、「海を埋め立てるな」と訴えていたので入れたのだけど、大差で負けた。それがとても腑に落ちなかった。
03年3月、イラク戦争が始まった。行きつけのリサイクルショップのオーナーに誘われて、浦添市のアメリカ総領事館前に行き、そこでハンガーストライキをやってる人を見た。初めて、私は「米軍は日本を守るためにいるわけじゃないんだ。この沖縄から米軍機が飛び立って、人を殺しているんだ」という事実を突きつけられて愕然とした。そしてそれを何とかしたいとがんばっている人たちがいることを知って、「知らない」って罪だなと思った。
伝えることの役割
そこで「まず知りたい」と思ったのが、人の辺野古に関わるきっかけだった。私がテント村で来訪者に話しをするようになって、私の話がきっかけで何度も来てくれる若い人たちがいた。私は沖縄の人たちに「それ」を教えてもらったけれど、「それ」を別の方たちに伝えて、その方たちがまたそれぞれの地元で考えてがんばってくれている―バトンがつながっているのがうれしくて、私の役割がちょっと見えてきた気がした。
よんなー(ゆっくり)つながって
私は名護で生きていきたいと思って来た。名護の人たちが思いをつなげる場所として、人間にとって大切な「食」を軸にしたお店がほしかった。地元の無農薬マンゴーづくりをしている農家さんが後押ししてくれて、コロナのまっただ中だったけれど、昨年4月に開店した。看板を見て入ってきてくださる方や、「ずっとお店を維持してほしい」とわざわざ来てくれるお客さんもいて、朝から夜まで座るヒマもないくらい忙しいときもあるけれど、うれしいし、ありがたいと思う。
基地問題だけでなく、人権の問題とか、環境の問題とか、その時は何とも思わなくても、ちょっとしたきっかけで「そういえば、あの時はあの話してたけどどうなってるの」とか、ほんとにゆっくりとしたペースだけど、意識を持ってくれる人たちが出てきてくれている。(店内には、本やパンフ、チラシ、手芸品などもおかれ、腰掛けてちょっとユンタクするスペースもある)。
一人ひとりが 「参加」の自覚を
地元の年配の方などに聞くと、「自分が思っていた復帰じゃなかった」と言われる方がおられます。 「復帰50年式典反対」のハンストをやった元山仁士郎さんとか、遺骨の混じった土砂の採取反対の自治体決議の口火を切った方も大学生で、若い人の中にも戦争もイヤだし原発も基地もいらないという人も多いのに、選挙の数字としては違うものが出てくる。
多くの人は、思いはあるけど生活優先になる。よくわかっていないからだろう。自分も参加しないといけないと自覚を持てるようにしていきたい。この店がそのきっかけの場としてなればいいなと。
私たちがお話を聞いている間にも、小さな子ども連れの若いお母さんなどが次々に来店。買い物をしてちょっと会話をして帰っていく。50年前の「復帰の日」、新米教師だった私は、児童の社会科の地図帳に「沖縄県」のシールを張っていた。思えばその時、沖縄のことをなにも知らなかった。まだ「基地のない平和な沖縄」とはいえない現実を前に、これから、誰にもそれぞれの仕事がいっぱいあると感じた旅だった。(佐野裕子)