女性の視点で
     県史を編む
 
 沖縄では2015年から新しい県史22巻が刊行されている。3分2が各論編になっており、「沖縄戦」とともに、その柱が「女性史」である。650頁に上る大部だが、琉球王国時代から近・現代までの政治・社会・文化・暮らしを研究、調査してまとめている。執筆者は総数42人、20代〜80代まで、8割が女性である。「女性」が単独で章立てされているのは全国で沖縄県史だけだそうだ。ぜひ実物を読んでみたいと思っていた。
 沖縄の旅の最終日は、それを閲覧できる那覇市にある沖縄県男女参画センター「てぃるる」を訪ねた。貸し出しを頼むと「スタッフが仕事で持ち出しているが、大阪から来たのなら」と親切に持ってきてくださった。一部しか読めなかったが、とても印象に残ったのが第七部第3章「土地闘争と女たち」(執筆・鳥山淳)だった。(全体の目次はウェブサイトで検索可)


 
女だてらと
    言われようと
 
 米軍は朝鮮戦争を機に基地の強化拡大のために「銃剣とブルドーザー」で住民・農民から土地を奪い取っていった。1955年、沖縄三大美田の一つと言われ豊かな水と上質の米が有名だった宜野湾村伊佐浜(当時)にもこの攻撃が激しくなった。村当局と男達は「これ以上抵抗したらもらえる補償ももらえなくなる」と屈してしまい、新聞は「円満解決」と報じた。しかし、女性たちは「私たちに一言の話もなく何が円満解決か。男たちはあまり圧迫が強く折れてしまった。男ができなければ女たちが守る」と立ち上がった。子どもを背負って琉球政府に直接交渉したが相手にされず、立法院軍使用土地特別委員会での再審議を要求。そこで女性達は次のように訴えた。
 「私たち主婦は家庭内の子どもの養育のみを天分と考え、土地問題とか大きな問題は男の仕事と、今まで夫や父に従い暮らしてきました。(略)こんな不幸に突き落とされ、可愛い子ども達の将来を考えると、女だてらにといわれても率先して土地を守らねばと立ち上がりました。我々は愛ゆえに勇敢になりました。子を思う母の強さをくじく力は絶対にありません。一歩も立ち退かない覚悟です」(琉球新報1955年2月6日付)。
 この女性達の迫力に圧倒され、人民党の議員の働きもあり、立法院は米軍に接収中止を申し入れた。米軍側はまったく応じなかったが、その時こういった。「沖縄では女は男の言うことに反対しないと聞いているが、地主(男)が承諾したものを女が蒸し返すとは…」(琉球新報同2月8日付)。女性達はあきらめずメーデーにも参加し、本土にもアピールを送り、それは男達を再度立ち上がらせ、全県に支援が広がっていった。だが、米軍が一方的に決めた立ち退き期限の7月19日、武装米兵が未明に村を囲み、「銃剣とブルトーザー」で田畑も家も潰されて接収されてしまった。
 
イグナヤ、
  イクサノサチバイ
 
 伊佐浜のたたかいは、阿波根昌鴻さん率いる伊江島島民の抗議行動—乞食行進から全沖縄を巻き込む「島ぐるみ闘争」に引き継がれていく。その起点は伊佐浜の女性達のたたかいだった。家父長制(ヤマト化の中で持ち込まれたもの)のくびきを自ら断ち切って立ち上がった伊佐浜の女性の姿は、「イナグヤ、イクサノサチバイ(沖縄の古くからの言葉—女はたたかいの先駆け)」だった。
 「女性の視点から歴史を編み直す」ことによって、民衆運動の中での女性の存在が浮かび上がる。読む者にはその時の女たちの息吹が感じられ、まさにチムドンドンだった(筆者には北富士忍草母の会や三池炭鉱争議での主婦の会、三里塚婦人行動隊の姿も重なる)。日本全国、全世界で女たちは闘いの先駆けだということに気がつく。
 
「島ぐるみ闘争」今も
 
 女性の視点から書かれた歴史書が行政側から出されたことの意味は大きい。それを可能にしたのは、今も続く「島ぐるみ闘争」の先頭に立つ沖縄の女性達自身の力だと思う。米軍による性暴力事件は軍事主義が生み出した構造的なもの。「基地のない平和な沖縄、世界」をめざしてたたかいつづける沖縄の女性達に、心からの敬意と連帯の思いを込めて、この連載を閉じたい。    (山野 薫)