
誰が「孤立」しているのか
また今年3月時点でロシアへの経済制裁に参加している国は、世界198カ国中48カ国だけである。それも北米、EU、オーストラリア、ニュージーランド、そしてアジアでは日本、韓国、台湾、シンガポール、ミクロネシアである。アフリカ、中南米、中東はゼロ。アジアでもほとんどの国は参加していない。人口比でみると制裁参加国は15%にすぎず、世界人口の85%の国々が制裁に加わっていないのだ。
この数字だけを見ると、西側諸国のロシアに対する言い分は、西側諸国の中だけでしか通用していないことになる。仲間うちで盛り上がったのはいいけれども、ふと周りを見わたすと、仲間以外は誰もついてきていない状態ということだろうか。こうなるといったいどちらが「孤立」しているのかわからなくなる。
ソ連崩壊後、グローバリゼーションの進展によって国家は後退し、世界は国境を越えて一つになると喧伝されてきた。しかし結局それは幻想に過ぎなかった。もはやアメリカは「世界の一部の盟主」でしかなくなった。世界の基調は、「統合」ではなく、「多極化」になった。ロシアのウクラナイ侵攻は西側諸国にその現実をはっきりと突きつけたのである。現実を直視しなければ判断を誤る。多くの専門家たちが侵攻を予想できなった原因もそこにある。
勢力均衡と集団安全保障
ロシアのウクライナ侵攻は、第3次世界大戦を引き起こすことになるのだろうか。そうならないという確証はない。少なくとも、各国がウクライナ侵攻を防ぐことができなかった従来どおりの安全保障政策をとり続けている限りは。そこであらためて、安全保障(security)とは何かについて考えてみたい。
長い間、国際政治における安全保障とは、「国家の生存をいかに図るか」ということであった。その始まりは、1648年のウエストファリア条約にまでさかのぼる。ヨーロッパ最後で最大の宗教戦争と言われた三十年戦争が終結し、神聖ローマ帝国が解体され、ドイツの約300の諸侯が独立した領邦(主権国家)として認められる。こうして近代的な主権国家体制が確立されていった。17世紀中葉から19世紀までの安全保障政策は、勢力均衡(balance of power)策であった。「勢力均衡の下では、各国は自国の安全を高めるために軍事力を増強したり、逆に軍縮をしたり、あるいは自由に同盟関係を組み替えることができる」(注6)とされた。
「勢力均衡」が決定的に破綻したのが、第一次世界大戦であった。続く第二次世界大戦を経て、国際社会は「集団安全保障」の確立へ向かうようになる。軍備と軍事同盟によって仮想敵国に対抗する個別的安全保障は、各国の軍拡競争を呼び起こし、戦争の危機を高める。特に核兵器の登場は、戦争が人類を滅亡させる危険性があることを人びとに認識させた。
こうした個別的安全保障の欠陥を克服するものとして構想されたのが、対立している国家を含めたすべての国家によって単一の機構形成するのが集団安全保障である。そこでは全加盟国が相互不可侵を約束し、加盟国が約束を破って他の加盟国を侵略した場合は、すべての加盟国が協力して侵略をやめさせる。現在の国連もそうした集団安全保障機構として発足した。当然国連においては、個別国家どうしの軍事同盟は禁止されるはずだった。
しかし、国連が発足(1945年)して間もなく東西冷戦が勃発(47年)したことにより、この原則は崩れ去る。アメリカが主導して北大西洋条約機構(NATO)を発足(49年)したのを皮切りに、次々と軍事同盟が形成される。
日米安保条約(51年)、太平洋安全保障条約(ANZUS、51年)、ワルシャワ条約機構(55年)、東南アジア条約機構(SEATO、57年)など、1950年代の10年間で世界は網の目のような軍事同盟で覆われていった。世界はあっという間に「勢力均衡」へと舞い戻ってしまったのだ。以来、国連は機能不全に陥る。今回のウクライナ侵攻に限らず、世界のどこかで紛争が起こるたびにそれが言われてきたが、それは昨日今日に始まったことではないのだ。「国連改革」は度々話題に上るが、そのためにやるべきことは、NATOをはじめとした軍事同盟の解散であろう。
冷戦の終結は、国連による集団安全保障がその機能を回復するチャンスであった。ワルシャワ条約機構が91年に解散したことによって、NATOもその役割を終えたはずだった。またソ連を仮想敵国とした日米安保条約も存在意義を失っていた。ところがこうした軍事同盟は解消に向かうどころか、その行動範囲を拡大していった。
その背景には、アメリカの国防総省を中心とする巨大な軍部、兵器産業などの民間企業、政治家、研究機関などが癒着した軍産複合体の存在がある。彼らが求めているのは平和ではなく戦争であり、国家の安全保障政策に無視することのできない影響力を行使しているのだ。
カール・ドイッチュ
すでに述べたように安全保障政策の目的は「主権国家(=国民国家)の生存」である。したがってその主要なアクターは国家だ。集団安全保障においても、個別国家が超国家的組織に解消されてしまうわけではない。国家の主権を保障するのはその国家の軍備である。
「国家」と「軍事力」。これは「万人による万人に対する闘争」(ホッブス)が展開される自然状態を前提とした、ウエストファリア条約以降の安全保障政策の基本的な枠組みである。
この枠組みに依拠することなく、安全保障政策を構想することはできないのか。この問題に斬新な解答を提示したのが、チェコ出身の国際政治学者カール・ドイッチュである。かれが1950年代に提唱した「安全共同体」(security community)がそれだ。それは次のようなものだ。
「安全共同体とはすでに統合している集団と考えられる。ここで統合とは、公式・非公式の制度・習慣が伴った共同体意識、『長い』期間にわたって『無理ない』確実さでもって集団構成員同士の平和的変更を保証するのに十分な強固で広範な意識、に到達することである」(注7)。
この定義からわかるように安全共同体の統合は、主要に構成員どうしのコミュニケーションと相互理解によって成立する。安全共同体は必ずしも国民国家と一致するものではない。国境が人びとのコミュニケーションや相互理解を妨げることがなければ、安全共同体の地理的範囲は複数の国家にまたがって拡大していくであろう。しかもそれは、単純な平面的な拡大ではないであろう。構成員どうしのコミュニケーションの密度や相互理解の深度が高くなるにつれて、その網の目状の立体(重層)構造はますます複雑になっていくであろう。こうして形成された安全共同体の内部の構成員どうしが武力で衝突することが考えられないのは、構成員どうしが長期間のコミュニケーションや相互理解によって到達した共同体意識によってであろう。
安全共同体における主要なアクターは、その地域に居住する人びとであり、その手段はコミュニケーションと相互理解である。つまり「国家」と「軍事力」を基本的な枠組みとする安全保障政策とは根本的に異なるものである。このような安全共同体が複数の政府を支えている場合は、多元的安全共同体と呼ばれる。「多元的安全共同体という考え方が提唱されたことによって、近代『国際』社会において、超国家的組織に依存しないでも、平和的国際関係が確立する可能性に気付かされた」(注8)のである。
(つづく)
(注6)
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(注7)山影進「対立と共存の国際理論 国民国家体系のゆくえ」(東京大学出版会、1994年)194頁
(注8)同前、196頁