ドイツがウクライナ軍に提供しているゲパルト対空戦車

ウクライナ戦争におけるプーチンの侵略行為と残虐性は許されるものではないが、ゼレンスキー大統領が世界中の国々に支援と武器供与を呼びかけるテレビ映像に、これまでにない恐怖を感じる。

対話を放棄した米国

ゼレンスキーの呼びかけに応え、米国、ドイツのみならず各国が我先にと武器供与をし始めた。悲惨な戦争が拡大している。ウクライナは全土にわたって破壊され、人びとは恐怖と絶望の淵に突き落とされている。この戦争は止めることはできなかったのか。
去年2月24日のロシア軍侵攻の直前に、米国のブリンケン国務長官とロシアのラブロフ外相の会談が予定されていた。ところが米国はそれを一方的にキャンセルし、バイデン大統領の「もうすぐロシアが侵略するだろう」「米国は軍事介入しない」と発言する姿が、唐突にテレビで放映された。米国は、なぜ戦争を回避する最後のチャンスを放棄したのか。

第三次世界大戦の危機

ソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構が消滅した1991年時点で、冷戦は終結した。このとき、軍事同盟であるNATOも解散するのが当然だった。「NATOの拡大はしない」というゴルバチョフ大統領と米国が約束した経緯もある。
しかしその後、ルーマニア、ポーランド、チェコなどの東欧諸国や旧ソ連の一部だったバルト三国がNATO加盟した。「東方拡大どころかロシアに対する包囲だ」とプーチンが受けとめたのも当然だろう。
ブダペスト覚書(1994年)においては「ウクライナの独立に際し、ロシアに核兵器をすべて返し(それまでウクライナは世界第3位の核保有国だった)、その代わりにウクライナの安全を保障する」とした。ロシアはこれに違反して侵略戦争に打って出た。
プーチンは当初、戦争の目的を「ロシア系住民の保護」としていたが、いまでは「ゼレンスキー政権は傀儡にすぎず、主たる敵は米国を中心とする西側連合だ」と明言している。さらに「ウクライナでの軍事衝突自体は表面的な事象にすぎず、いま起きていることは歴史の分岐点における世界秩序の地殻変動だ」(2022年10月、ヴァルダイ会議)と発言するに至った。この発言は第三次世界大戦の危機を感じさせる。
「この戦争はロシアの侵略であり、民族抑圧だ。ウクライナの民族解放闘争を断固支持すべきだ」と語る人びともいる。しかしそれは、ウクライナの勝利を追求するためなら世界各国からの武器供与に賛成ということにならないだろうか。行き着く先は戦争に加担し、世界を真っ二つに分断する世界戦争の一方の構成勢力に自らを貶めてしまわないだろうか。戦争をとめるために何が最も正しいのか、それはとても難しい。

命がけの選択

それでもロシア人民に「きょうだいよ、誰に銃を向けるのか!」と訴えたい。「プーチンのウソを見破り、戦争に動員されるな」と。もちろん命がけの抵抗となる。逃げ隠れしてもいい。戦争に動員されれば、殺し殺されるという悲惨な事態が待っているだけだ。
侵略者ロシアに怒り、民族の独立のために立ち上がっているウクライナ人民の誇り高き精神に敬意を表するが、それでも「戦争という手段に訴えるのではなく、停戦の実現に全力をあげるべきではないか」と訴えたい。これも命がけの選択だが、このままではあまりにも犠牲が大きい。取り返しがつかなくなる前に、停戦を決断すべきだ。
そして世界の人民に訴えたい。自国政府が戦争に加担することを絶対に許さず、「停戦!」を世界の声にしよう。

岸田政権の打倒を

無責任で、あくどく、事実無根で利権がらみの世論が作られようとしている。「ウクライナ戦争は西洋の民主主義陣営と中露の専制主義陣営の間の戦争だ」という語り口は、反共主義者の常套手段だ。それは新たな冷戦を期待するものだ。一部の者にとって戦争は儲かる。軍事利権に群がる連中が各国で台頭している。ドイツに続いて日本も軍事費を対GDP比2%に引き上げることを決定した。欧米の軍需産業はボロ儲けし、ロッキード・マーチンやレイセオンなどの軍事企業の株が急上昇している。
岸田政権はウクライナ戦争を利用して軍備拡大をはかり、ウクライナとロシアの人びとの血を吸って肥太ろうとしている。日本人の責任として、このような政府を断固打倒しようではないか。
     (当間弓子)