監禁室に残された落書き

3項目(園名の使用、宗教の選択、解剖承諾書への同意)のほかにも、患者同士の結婚には男性の断種手術が絶対条件でした。医師免許を持たない人が手術をすることもあったらしく、女性が妊娠すると堕胎を強制されました。邑久光明園には、49体のホルマリン漬け胎児標本が残されています。
脱走防止のためにお金を取り上げ、園でしか通用しない園券と交換していました。岡山県側の本土と長島は、22メートル幅ほどの川のような海で隔てられています。とても潮流が速く、脱走を試みて流され溺死した人が多くいたそうです。長島へは小舟が渡っていましたが、患者専用桟橋と職員用桟橋(無菌地帯)を区別していました。1988年に、岡山と長島を結ぶ橋(「人間回復の橋」)が完成します。落成式は瀬戸大橋の1カ月後でした。
最後に監禁室のことです。一言で言えば留置場、療養所の「規則を破った」人が入れられた牢屋です。監禁期間も、療養所の所長の裁量で決められました。収容された人の多くは、園から脱走を企てた人です。
ハンセン病の国立療養所は全国に13カ所、民間の神山福生病院もあります。どの施設も交通の便の悪い所ばかりです。香川県の大島青松園などは、高松港から船で30分離れた小島にあります。ぼくがハンセン病問題を学び、心を揺さぶられたことを3つだけ述べます。
一つは、視力を失い、手の指を欠損した人が、舌を使って点字を読むということです。舌読で本が読めるようになり、世界が広がったのです。二つは、狭い空間(歩いて回っても2時間ほど。邑久光明園は約834㎡)に閉じ込められ、社会から隔絶された生涯を強いられたこと。三つは、産まれたわが子を看護師が息をふさぎ殺した後、母乳が出たときの悲しさを訴える国賠訴訟原告の証言を読んだことです。
   (こじま みちお)