
那覇市で1月21日、ミサイル攻撃を想定した避難訓練が行われた。ロシアのウクライナ侵略が始まって以来、南西諸島に急激な「防衛態勢」が進行中である。ウクライナの状況から日本の防衛を連想してのことだろう。
「防衛態勢」と「軍事態勢」は鏡の裏と表の関係だ。防衛といいながらの「敵基地反撃能力」は、戦争の導火線である。今回の避難訓練を見ても、戦争の実相を知らない人の考えだろう。空襲警報がなり、そのつど避難するウクライナの市民の現実を見ても、戦争は人の生を呑み込む。
ウクライナ西部の都市、ドニプロで14日ロシアのミサイル攻撃で息子を失った母の叫びが、マスコミから流れてきた。「あんた、なんてことをしてくれたの! 普通の人びとになんてことをしてくれた! 私の息子になんてことをしてくれたの! 全ての母の涙と共に一生呪ってやる!」
戦火の下で俳句
いったん戦争が始まれば悲しみが増し、憎しみが増幅し終わらない。
砲撃止みて
黒蝶のけぶり
伸掛かる
俳号フィルモル・プレー ス(56歳、ベラルーシ在)
花壇ありし
辺りに爆死の
子を埋む
オリガ・テェルニフ
(54歳、ウクライナ在)
読谷では「沖縄戦を忘れない! ウクライナに平和を!」というボードを掲げ、初めは毎日、最近は毎週、国道でスタンディングを始めてから、もう1年になろうとしている。連帯を呼びかける相手のロシア市民は反戦の声を封じられた。その市民はドニプロの爆撃の犠牲者に花束を捧げるだけでも、ロシア当局に拘束された。
昨年、ロシアのゴーシャル(俳号、56歳)さんは、「ロシア人の名をかたったプーチン政権の戦争犯罪には、絶望しかない」と嘆き、「ぼくが反戦を訴える手だては、もう俳句しかない」と、不安は拭い切れないなか、
今年なお
李咲きぬべし
空爆下
と詠んだ。
同じくロシア人のターニャ・リヒト(62歳)さんも、ウクライナの人をおもんぱかり、
崖が縁歩みつ今日も雹降る と詠む。まだ、表現活動はできているのだろうか。
ロシアで反戦の声を封ずるようになるまでには、それなりの体制づくりが進行していた。半裸で乗馬するなどマッチョな姿を誇示するプーチンは、20年以上権力の座についている。何が排除されていったかは、2013年に同性愛の宣伝を禁じ、昨12月にはLGBTQの表明も違法にしたことで想像がつく。
翻って日本は。自民党が長年にわたり政権を握っている。安倍・菅政権で戦争ができる国になり、岸田政権になって台湾有事を煽り、「国民に防衛の決意」を求めるようになってきた。あと一歩で「挙国一致」と言いかねない。そうなれば反戦の声は封じられる。
あすは辺野古に
俳人・渡辺白泉は、1939年、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」と詠み捕まった。治安維持法に基づく、俳句誌・俳人に一連の言論弾圧事件である。
あの大戦から、教訓を得たはずの私たちは、「戦時態勢」になる芽をつんでおかなければと思っているのだが…。昨日は安和、今日は沖縄市で自衛隊弾薬庫反対の市民集会。明日は辺野古、土曜日は県民集会と…。
「ひまわり」を
聞きながら
ヒカン桜を見る タン石
(富樫 守)
(注)ロシア等の俳句は中日新聞から。英訳にウクライナ出身の詩人、バレリア・シモノバさん。英訳から和訳はフランス出身の比較文学研究者、俳人のマブソン青眼(せいがん)さんと中日新聞記者。