佐喜真美術館屋上の階段。6月23日「慰霊の日」には最上段の窓に夕陽が差し込み、階段と一直線になる。

11月13日(日)。糸満から嘉手納に引き返し、巨大な嘉手納基地へ。かつての「安保が見える丘」の道向かいに展望台ができていた。日曜日のため戦闘機などの発着がなく、腹に響く轟音、爆音もない。滑走路の端に多数の大型輸送機や哨戒機、偵察機などが並んでいる。
大城さんは、「嘉手納は老朽化したF15戦闘機を2年間で退役させ、新型機の再配備が始まった」と話した。展望台には資料館があり、「有刺鉄線の塀に囲まれる」展示室。家や村、私たちが基地に囲まれるという構成になっていた。
「すぐそこに米軍基地がある生活、私たちとはまったく違う現実にあ然と…」「座り込みには加わりませんでしたが、辺野古の実際を見ました。これからは思いを馳せることができます」「何10台ものダンプの列…。座り込みのみなさんとお話ができ、とてもありがたかった。もっと闘争的な人たちと思っていましたが、穏やかに淡々と、でも内なる気持ちが伝わってきました」「横須賀や座間、厚木で知っていたつもり。だけど沖縄は米兵の雰囲気が違うように感じた。街全体にある基地の大きさ、存在を実感した」
「富樫さん、大城さんの案内で、これまで行けなかった戦跡に行けた」「お二人のおかげ、内容の濃いツアーだった」「一家全滅の家の跡が、いまも残されていることが衝撃でした」「アメリカと日本の関係。ほんとうはどういうことなのか。原発も沖縄も横田も水俣も、根っこは同じように思いました」。
以上、参加したみなさんの感想を引用させてもらった。  (竹田雅博)