
ドキュメンタリー映画「金福童」の上映会が、1月28日に大阪で開催され200人が参加した。宋元根監督のあいさつと梁澄子さん(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)の講演を紹介する。
ハルモニの涙の意味
宋元根監督のあいさつ
この映画は「慰安婦」問題を解決するために活動した金福童ハルモニの姿を通して、共に運動してきた人びとの27年間を振り返るものです。制作はハルモニ逝去(19年1月28日)の3カ月前から始まり、挺対協・正義連やメディアの記録を収集し、調査しました。
私は、日本の朝鮮学校生徒への奨学金授与のときにハルモニが涙を流す姿がとても印象に残りました。その涙の理由をハルモニに尋ねると、「どういうわけか、あの子たちのことを考えると、ただ涙がでる」と。私はその意味を知りたくて19年1月(ハルモニの逝去の一週間前)、京都朝鮮学校を訪ねました。そこで、日本社会で高校無償化からの排除という理不尽な差別を受けながら、チマチョゴリを着て学ぶ生徒たちに出会いました。ハルモニは、この少女たちに14歳で何もかも奪われた自分の姿を重ね、この子たちを守らなければという思いで涙したのではないかと感じ、私は心を込めてこの映画を作ることを誓いました。
この映画はハルモニの生きてきた過程を通して、私たちが「慰安婦」問題をどう受けとめるのかを問いかけるものです。ハルモニは「もう許しの準備はできている。あとは日本政府が正式に謝罪するだけだ」といわれました。この映画は「日本」を描いているのです。
「私についておいで」
梁澄子さん講演要旨
正義連前理事長の尹美香さんが20年9月、「公金横領、詐欺」などのデッチ上げで起訴された裁判の判決が2月10日にあります。日本でも多くの人は、内実がわからないまま、疑念のみを受け入れてしまったようです。だからこそ、この映画が日本で上映される意味は大きいのです。
画面に映し出される15年「日韓合意」に抗議する若者たちの姿は、韓国の市民の怒りがいかに大きかったかを示しています。金福童ハルモニは「お金で歴史を売った」と弾劾し、「合意撤回」の運動の先頭に立ちました。これは朴槿恵政権を打倒するキャンドルデモに引き継がれていきます。
ハルモニは1992年に名乗り出てから積極的に活動しますが、99年には事態が進まないことに気落ちして釜山に帰り、運動から離れてしまいます。そのときハルモニを支え続けたのは尹美香さんでした。2010年に目の治療のためにソウルの「平和のウリチブ」(被害女性のシェルター)で生活を始め、若い人たちとのふれあいをきっかけにパワーが全開していきます。国内、日本、世界中を回り、苦しみとたたかう人びとのための活動を展開する様子は映画に詳しく描かれています。
大腸がんなどの大手術の後もそれは続き、18年11月には全財産を朝鮮学校支援の団体「金福童の希望」に託します。「私は希望をつかみ取って生きている。私の後についておいで」と生徒たちに伝えてくれと言った言葉が、私が聞いた最後の肉声でした。19年1月28日、ハルモニは亡くなり、「人権運動家・金福童市民葬」は5日間続き、文在寅大統領(当時)など6千人が弔問しました。
【ハルモニ】朝鮮語で祖母、おばあさん。高齢の女性をさす。
言葉を噛みしめる
「慰安婦」問題解決の運動に関わってきた筆者は、何度もハルモニの声を直接聞く機会があった。映画を見て、凜として揺らぎのないハルモニの心中に、どれほどの苦悩があり、運動側の人びとがサバイバーのみなさんと「共にたたかう同志」になる過程に、どれほどの葛藤があっただろうかと痛感させられた。「日韓合意」に怒り、「和解・癒やし財団」発足の記者会見場を占拠して警察に排除される若者たち、ハルモニが「逮捕するなら私を逮捕しなさい」と詰め寄る姿、若者たちには「捕まらないようにね」といたわる場面では涙が止まらなかった。
「慰安婦」問題解決への道は簡単ではなく、巷にはヘイトクライムが絶えず、ウクライナ戦争は長引き、岸田政権が戦争へのめり込もうとする時代に生きている。そんな時だから「希望は自らつかみ取るもの」という金福童ハルモニの言葉を噛みしめる。 (新田蕗子)
【今後の上映スケジュール】 2月25日(土)京都アバンティ響都ホール 18時半 3月5日(日) シアターセブン(大阪・十三)①11時②14時