
はじめに、池宮彰一郎の『事変』(角川文庫・676円)という小説。1936年9月18日に、日本の関東軍の起こした満州事変がテーマだ。満州事変の調査のために派遣されたリットン調査団の報告書の内容を、スリ集団をつかって盗むという少々荒唐無稽なお話しである。
当時の国際連盟から派遣されたリットン調査団は、英・仏・独・伊と当事国の日本、中国、それにオブザーバーとしてアメリカも入っていた。団長のリットンは、サー・ヴィクター・アレクサンダー・ジョージ・ロバート・リットンという。父親もインド総督を務めた辣腕の植民地行政官で、リットン自身もインド総督代理を務めていた。つまり、ばりばりの帝国主義者。フランスもインドシナに植民地を持っていたし、アメリカも中国の権益をねらっていたわけで、満州を日本の好き勝手にはさせないための調査だったと思う。
教科書にリットン調査団が満鉄の線路をみている写真(上)が使われている。調査団は直接、柳条湖に派遣されたと思っていたが、1932年の2月29日に横浜に入港している。その来日直後の3月1日には「満州国」ができ、調査団が日本側の政府や軍部の要人、民間人と面談し始めた3月5日に、団琢磨が暗殺される「血盟団事件」が起こってしまった。調査団が満州で調査中の5月には5・15事件が発生している。日本にとって非常に印象の悪い出来事だったのだ。
リットン調査団は上海、南京、漢口などを回り、4月20日に北京を出発し奉天に入った。そこから満鉄線で満州を移動しながら、調査と報告書を作成していく。日本政府に雇われた「湯島の吉」を親分とするスリ集団50人は、膨大な量のスーツケースから報告書を盗みだすことに成功。
調査団は、ハルビン哈爾浜から、より奥地のチチハル斉斉哈爾へ移動するのであるが、オブザーバーのアメリカ代表は哈爾浜を動かなかった。そこへ、ソ連のイワノフがやってきてアメリカのマッコイと接触する。この動きを察知した日本のスリ集団の一味が、またもやイワノフから機密文書を盗み出すのだった。
(こじま・みちお)