「競争・強制ではなくいのちと人権を守る教育」をテーマにした集会が大阪市内で開かれた(2月11日)。大阪公立大学教授の酒井隆史さんが講演。
酒井さんは、他者が何を考えているのか推測する「解釈労働」の領域で、不平等な分配が行われていることによって、上位―下位のヒエラルキーが形成されていることに問題があると指摘する。「解釈労働」は誰もが日常的に行っていることだが、実際には女性の方が男性の考えを推測する努力をより多く要求される。ジェンダーのヒエラルキー下位に位置づけられる女性に多くの負担がのしかかっているのだ。
こうしたヒエラルキーによる「解釈労働」の不均等な負担を生みだしているのが、暴力である。天皇制においては、知識人や保守政治家が率先して天皇の「お気持ち」を推測し、「解釈労働」を作動させている。
「天皇陛下は誰よりも戦後日本の現状を理解している」「国民の安寧を祈っている」「右傾化を憂慮している」など、ほとんど妄想と言えるような「解釈労働」がメディアを通して垂れ流されている。こうしてヒエラルキーの構築とその強化が行われているのだ。
天皇制とは窮極的には暴力である。天皇制を批判することは、「タブーを破った」「恐ろしいものに触れた」という恐怖感を伴う。その恐怖感は暴力に裏打ちされたものだ。天皇への「敬愛」とは、テロルへの恐怖の歪曲された表現である。これが「自発的隷従」の本質だ。
資本主義はますます略奪的になっている。マイナンバー、インボイスなどによって社会の富の動きをすべて監視し、税金を吸い上げようとしている。私たちは、「ヒエラルキーのない社会は可能である」という立場で、その実現のために行動することが求められている。