2月11日、滋賀県大津市で行われた映画監督の森達也さんの講演が行われた(写真上)。

放送されなかった番組

森さんはテレビディレクターとして1995年、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きたとき、その理由を突き止めようと、信者たちを被写体としたドキュメンタリーを撮った。しかし、どのテレビ局も放送を拒否した。それは、そこに映しだされた信者らが誠実な人たちだったからだ。「事件を起こしたのは凶悪な集団」というテレビ局側の先入観が受け付けなかったのだ。
「しかし問題はなぜ誠実な人たちが凶悪な事件を起こしたのかである」と森さんは語る。そこを解明しなければ、同様の事件は再発するからだ。オウム裁判では、そこが問われていたが、何もわからないまま、主要幹部らの死刑が執行された。

異論排除、同調圧力

オウム事件以降、日本では集団化の傾向が強まった。不安と恐怖に駆られた弱い者が集団化し、自滅に向かって暴走する。異物の排除、同調圧力、強いリーダーを求め、厳罰化を要求する。「先の戦争のときも日本はそうだった」と森さん。
どうすればよいのか。モンゴルでは、ヒツジの群れの中に、必ずヤギを一頭入れる。家畜であるヒツジは、集団でしか動かない。草がなくなっても、ずっとその場所を動かないために自滅する。ところが、野生のヤギは、草がなくなれば移動する。ヒツジはヤギにつられて移動するので生き延びられるという。
日本人の集団化をヒツジ群れに例えるなら、日本人を救うことができるのは、少数でも自立した「ヤギ」の存在だ。その役割を果たす人物が必要のなのだ。