
前回に続いて、満州事変をテーマにした池宮彰一郞の小説『事変』。日本政府に雇われたスリ集団がリットン調査団の報告書を盗み出すという荒唐無稽な話だ。
機密文書の内容は、「英・露・米(アングロサクソン・ルッソ・アメリカ)で満州を共同租界にしよう」というARA密約だった。この話は事実かどうかわからない。樋口正士の『ARA密約~リットン調査団の陰謀』(カクワークス社・1760円)を読んでみたが、密約文書の原文写真も添付されていなかった。アメリカの機密文書公開原則期間も50年延長され、2007年には公開されているはずだが。
約3カ月にわたる調査を終えたリットン調査団は、1932年10月1日に報告書を国際連盟に提出した。日本側に不利な点だけを上げると…。
①満州事変は日本軍の正当な自衛手段とは認められず、日本軍の慎重に準備された計画の下に遂行された。
②満州国は、住民の総意に基づいて独立した国家とは認められない。
③満州は中国領土にあらず、という日本の主張は、当を得ていない。
この報告に先立つ9月15日に、日本は満州国を承認しているのであるが、報告が国際連盟からの脱退を決意させるには十分な内容だった。明けて33年2月24日、日本代表の松岡洋祐が国際連盟からの脱退を宣言した。
作者の池宮彰一郎が言うには、レーニンが国家承認を求めるために、アメリカに国土の8割を譲ってもいいと提案したかも知れないと言っている。調べてみると、ソ連の承認はイギリスが一番早く22年、日本が25年。アメリカは、この密約がなされたとされる32年の1年後だった。
そしてもし「ARA密約」が本当だとすると、1493年の教皇子午線のような大国の世界支配の構造ではないのか? 現在のウクライナ戦争もそのように見えてしまう。 (こじま みちお)