
ウクライナに関するニュースが世界中を駆け巡っているが、シリアから日本に逃れてきた人が、次のように語っている。
「全部、ロシアがシリアで繰り返してきたことと同じです。でもあのとき、世界はシリアにどれほど関心を持ってくれましたか」と。また、シリアの難民キャンプのお年寄りは「私たちが世界から見放されているのは、目の色や肌の色や宗教が違うからですか」と。
欧米と中東とでは、そこに向けられる眼差しや支援に著しい差が存在する。日本に逃れてきたウクライナの避難民たちと、ミャンマーやアフガニスタンからの避難民たちにたいする扱いとは雲泥の差がある。人間としてどこが違うというのか。
「白人優位」
2年前、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさんは、体調不良を訴え続けたが、治療を拒否され、死に至らしめられた。
名古屋入管の職員たちは、もだえ苦しんだ末にもはや動けなくなったウィシュマさんを横目で見ながら談笑していた。そのようすを撮影した監視カメラ映像が公開された。この職員たちは、ウクライナ人に対しても同じ扱いをしただろうか。
ロシアがウクライナに侵攻した直後、欧米のメディアは「私たちと同じ青い目をした金髪のヨーロッパ人が殺されている」と報じた。黒い目と黒い髪は殺されてもいいのか。これと同じように、自分たちが有色人種のアジア人であることを忘れて、白人優位の差別的価値観を持っているとしたら、これほど恥ずべき奴隷根性はない。
アパルトヘイト時代の南アフリカ連合の白人政権は、日本からの経済援助を引き出し、利用するために、日本人を他の有色人種と区別して「名誉白人」と呼び厚遇した。商社マンなど多くの日本人は、この称号を屈辱と感じるどころか喜んで受け取っていた。唾棄すべき卑屈さであるが、そういう者ほどアジア人やアフリカ人の前では傲慢に振舞う姿が目に浮かぶ。
バイデンはプーチンを「戦争犯罪人」と非難しているが、米国は20年前、「大量破壊兵器を隠し持っている」と言ってイラク戦争を開始した。それはまったくのデッチあげだったのだが、この20年間でアフガニスタンやイラクで米軍がやってきたことを思えば、米国にロシアを非難する資格はあるのか。イラクの街並みは米軍の攻撃によって廃墟と化した。行政機構は破壊されたままで復興のめどは立っていない。たしかにフセインは独裁者だったが、自国をここまで破壊しなかった。むしろ豊富な石油資源を背景に国民に無償で医療や教育を提供していたのだ。
自衛隊をイラクに派兵したのは、米国の宣伝を鵜呑みにした日本人と無責任な日本の世論である。このとき多くの日本人はどこまでイラクの人びとの苦しみに思いを馳せていただろうか。
宮古島で起きたこと
ウクライナ戦争が長期化の様相を見せる中で、「日本は軍備を増強すべき」という世論が、「すべきでない」を上回っていく。着々と「祖国防衛」の世論が浸透していることに不安が募る。
陸上自衛隊の配備が急ピッチで進められている宮古島で、それに反対する女性市議の石嶺香織さんが、議会ぐるみ、島ぐるみで「反日」「売国奴」「過激派」「変態女」と罵倒され、袋叩きにあった。17年のことだ。彼女は「米海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら婦女暴行事件が起こる」と自身のフェイスブックに投稿した。確かに自衛隊員に対しては失礼な言い方になっていたので、石嶺さんは投稿を削除し謝罪していた。
しかし米軍が沖縄で女性への暴行事件を繰り返していたのは事実である。また中東などでの実戦経験がある海兵隊による訓練は、「人殺しのノウハウ」の伝授以外のなにものでもない。それは自衛隊員から「命を大切にする魂を奪う」ための訓練に違いない、そのような自衛隊員たちによって島の女性たちに危険がおよぶのではと心配するのは女性として当然のことだ。
石嶺さんへの攻撃は、「県営住宅への不正入居」というデッチ上げも加わってエスカレートしていった。特に産経新聞は紙上で執ように彼女への攻撃を扇動し、東京版でもそれを行った。その結果、宮古島市議会は石嶺さんに対する辞職勧告決議を可決し、次の選挙で落選に追い込まれた。
国はメディアと利権で議会を乗っ取って、唯一の女性市議であり基地反対派の石嶺さんを貶め、潰したのである。
産経新聞は辺野古新基地に反対している男性が公務執行妨害で逮捕されたときも、ネット上の「朗報」「天誅」という声を紹介して不当逮捕を称賛した。ジャーナリズムの劣化は目を覆わんばかりだ。「反日」「売国奴」「非国民」という言葉が、良心的な人びとの言葉や行動を押しつぶす時代が来たのかと思うと空恐ろしい。 (つづく)